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雑な記事

経済学ってなんだ #2

フランソワ・ケネー(1694-1774)の経済表。ケネーの説いた経済循環とは、貨幣を媒体として価値が循環していくことを、経世済民(人民の救済を念頭に置く統治)の在り方だとする。フランス革命前夜の宮廷医師だった彼の胸中には当時フランスの「貧困」が確実に焼きついていた。重商主義批判とは、後に重農主義という形を成すものである。重商主義とは、貿易で貴金属が蓄積されること(国家に偏在すること)を富国とする国策であり、絶対王政と同時期に糾弾されている。それ以降、自由権(国家権力によっても侵害されない個人の自由)、法の下の平等、社会権(国家権力の施しによって個人の人間らしい暮らしが支えられること)を市民社会が勝ち取っていく、歴史的経緯の流れのなかで、産業革命(技術革新)を度々経験しながら資本主義社会が成熟していく。

富の偏在。富に恵まれた主体とは、軍事力にせよ、経済力にせよ、強力である。国土の侵略戦争にせよ、市場経済の自由競争にせよ、富に恵まれた恵体同士の争いになれば、自国を代表する恵体のほうを勝たせるために国内の富はさらに偏在するのである。経済の重商主義とはフランス革命にてセンセーショナルに打倒されたものでは断じてなく、結局は「企業」が自己中心的に取って代わるだけだという現実に、資本主義国はようやく青ざめようとしている。トリクルダウンなど誰が言い出したのか、想像を絶するほど水が上から下に流れないのである。

こんにちは、Warp-manです。

先進国による直接投資とは、途上国開発論の主要なメソドロジです。しかし途上国側の格差社会を顕著にすることが、わかってきています。2022年度大分大学経済学部編入学試験(小論文)の大問3のテーマに「直接投資における途上国側の課題と解決策」が出題されています。東南アジアの民主化は、中間層(考えるサラリーマン層)を厚くしたことが勝因であると思われていて、確かに政治意識の土壌が形成されていることで、重商主義の歯車を拒絶できるとは、その通りだと思われます。私の弁論の立場をわかりやすくすれば、たとえば商品作物のプランテーションとは、多国籍企業による大航海時代だと思っているのですね。

経済学は、その最大の目的たる「貧困の解決」で、現実の政治や国際関係と不可分なものなのです。経済学が、経済学に関わる人びとの会議室で、ではどのような学術的準備をこしらえて待ち構えているかと言えば、市場(競争市場)と財政(マクロ循環)を前提とする現実の分析と理論構築を繰り返しているのです。

経済学ってなんだ #1

ペットボトルの天然水2Lが68円で買えたりするのはどうしてだろうか。参考までに天然水500mlは98円するお店である。何がどう「どうして」なのかと言えば、2Lであれば、500mlのペットボトルであれば4本買って392円するし、実際1.5Lであれば296円かかるのに、392円→68円までガクンと値下がりするのは、どうしてなのかということです。

こんにちは、Warp-manです。

ここで、近所のオバちゃんから「みんなに配るからだよ」と言われました。オバちゃんは「2Lと500mlは、そもそも同一の品物ではない」と言っているわけです。確かに、それであれば、あとは「販売する店舗が直面する需要曲線は2つあるのだから、それぞれ価格弾力性が異なれば価格も当然変わってくるだろう。」と話を終えることができます。いつのまにか冒頭の問題意識で提示された392円という価格のほうが、「何を根拠に提唱されたものなのか?」と言われかねないものです。

ただ、「それにしても安くないですか?」と思います。規模の経済性から「2Lのペットボトルのほうが大量生産されているから製造費が安い」という提案をすることはもちろん可能なのですが、これは「たぶんそうだと思うけどあまり論理的ではない」と言われてしまうと思います。もっと明確な別の問題をあげると、飛行機の旅費で「札幌-釧路間」が20,000円以上するのに、「札幌-東京間」が6,000円以下で抑えられる日もあるのはどうしてだろうか、と言われたときに「同一の品物ではない。2つの需要曲線の価格弾力性が違うから価格も当然変わってくる。」と返答することになります。流石に「静学的な絵解き」にも程があると思ってしまうのは、それは「まず札幌-釧路間が高すぎるだろう」という暗黙の前提が存在するからであって、そうであれば「札幌-釧路間を値下げするにはどうしたらいいと思いますか?」と遠慮なく本題にはいれば良いと思います。ここでサプライサイドの課題が浮き彫りになってくるものです、「札幌-東京間はPeachのような格安航空が参入しているのに、札幌-釧路間はJALとANAしかいない。どうしたものか?」と一気にアトラクティブな話題になるわけです。そのうえで、「しかし需要曲線に従って最適な値付けをするのであれば結局は価格は高止まりする可能性があります」ということになってくるわけです。

数学で文系が理系に追いつくためにすべきこと

理系に追いつく

筆者も高校時代、文系の偏差値高い同級生と口喧嘩だけはしたくありませんでした。突然日本語が加速して、聴き取りながら、後から一つずつ考えていくほど「こいつの言うとおりっぽい・・・」と思わされることが多かったです。逆に筆者の言っていることが概ね合っているときは、彼らはすごく苦々しい顔をしていました。特に筆者はプレゼンのほうが得意だったから、ウザかったと思います。そういう「本当は俺のほうができるんですけど(トータル的な)」という考え方を捨てていかないと数学は難しいかもしれません。

高校数学の復習は白チャートを使いましょう。簡単な問題を解きまくって万能感に浸るほうがよいです。解ける問題を解かされている感覚が絶対的に必要です。君たちは、何かあって数学が嫌いになった、嫌いなままでいいが、嫌いになったきっかけから逃げていてはいけないんじゃないかな。

冗談はさておき、黄色チャートはよくわからないですが、少なくとも青チャートに載っている解法のテクニック的なものは編入学試験では不要だと思います。青チャートがなんとなく頭に入っていたかもしれない筆者が数学偏差値60ちょいだったから。酷い言い方になるけど、「大学3年生になる編入学試験なのだから高校数学で言ったら正味6年生レベルだ」などと考える必要はまるでないです。筆者は実際偏差値60ちょいで学習を大学数学に「接続」できたので。

まあ高校数学が出来上がっているほど「接続」がすんなり行くのは事実ですし、青チャートが解けるくらい仕上がっていれば「高校の貯金」みたいな感覚で編入学試験の問題を解くときに「とっかかりがある」のも事実なんですけどね。はさみうちの原理を使う問題とか、青チャートでブンブンしてたような人は確かに反応がいいです。

ただ念のためダルい話をすると、たとえば中学受験って小学校で習う範囲で問題解かされるじゃないですか?、実際青チャートにもそういう「高校で習う範囲内」でっていうところがあります。たとえばロピタルの定理とか変な話大学以降で解禁なんですよ、成り立つことを高校範囲で示せないんだったけ?、そういうのがやっぱどうしてもある。

大学数学にステップアップするに越したことがない理由を、もっと外見的な話で言うと、高専生みたいに、一般入試の数学対策をしたことがない者、代わりに大学数学レベルを学校組織的に受講した者が、強いという実態が挙げられると思います。筆者も、知人からこういうことを言われてやっと「さっさと大学数学にいこう」という考えが補強されて確信に変わったんですよね。

「点aの距離ε以内にある任意の点aiについて、点aに収束するある点列{ai}が存在して、ai∊{ai}」と読まされたときに、何がなんなのかわからないようだと大学以降で数学書を読むことは大変難しいです。最低限度の対話力を身に着けるためにも「解析入門30講」と「集合への30講」は絶対に読みましょう。筆者は大学1年のお正月1月4日から3日間で「集合への30講」を読めたよ。

経済史で産業革命の問題がでたら石炭って書け

イギリスは石炭が採れたから産業革命が起きました。小学生の頃から勉強ができるほうだった君達は「蒸気機関が発明されました」みたいなのを習った瞬間があって、覚えているはずです。蒸気機関は石炭で動くので、石炭というエネルギー資源を一早く活用していたイギリスで、発明のモチベーションがあったんです。アジアの国ぐにが木材を頼っていたことと対照的です。

森林エネルギーに頼っていた当時アジア諸国を「有機物依存経済」と呼んだとき、その一方でイギリスは「鉱物依存経済」へと移行期にあったと言えます。これは長谷川貴彦『産業革命』2012 世界史リブレット 山川出版社 p.56に書いてあったのですが、勉強した痕跡をPRするときに、ここでは長谷川先生が言っていた用語ということになりますが、先生が著書で使った用語を「あえて」使うと、読んだ採点の先生は、最初は「あれあれ?」とビックリするかも知れませんが、「この学生なりにそういう本で勉強したんだな」と思ってくれると思います。

同様に、両戦間期の問題が出たら「電力」という単語を使いましょう。着想がエネルギーだと経済史の論考としてはオーソドックスな風味が出ます。

経済史の理論的フレームワークの一つに長期的経済成長の趨勢(波動に対して赤線のようなもの)とか構造的な離陸(take-off)など話題になります。

当時のエネルギー資源について答案に書いてあると勉強した感じがグッと出ると思います。

レオンチェフ型の効用関数の何が難しいんだよ

こういうのだけど、x1をα2消費して、x2をα1消費したら、効用α1α2を得るのはわかると思います。ここからx1を増やしたり、x2を増やしたりしても効用は変わらないので、必ず「x1をα2消費して、x2をα1消費して」というバスケットで消費量を増やしていかないと効用増にならないよね。

ただこれだと効用一単位が効用α1α2だから、バスケットだと言った「x1をα2消費して、x2をα1消費して」は、割り算して、「x1を1/α1消費して、x2を1/α2消費して」にすると効用一単位が効用1になる

u(x,y,z) = min{x+y, z}

みたいな問題が以前横国で出たと思ったけど、これはx1=x+y, x2=z, α1=α2=1だね。

x,y,z の価格を px,py,pzとして、

px>py ならば最適消費において x=0、y=z、予算制約式を (py + pz) 2y = I と書けるね。

px<py ならば最適消費において y=0、x=z、予算制約式を (px + pz) 2x = I と書けるね。

px=py ならば最適消費において x+y = z、予算制約式を (px + pz) 2z = I と書けるね。

偉そうにこういうことを言うと、レオンチェフ型効用関数で描かれる二財は完全補完財で、追加効用一単位のために必ずバスケットで消費しないといけないから単一の財の需要関数に複数財の価格が消えないんじゃないかな?ウフフ

覚えておきたい経済史の人物は高橋是清

覚えておくべきだと思われていない

高橋是清が覚えておくべき人物だと気づいた人は、そのことをひた隠しにしすぎです。効率よく勉強したい君達は、「テーブルクロスをつまみあげるような感覚で経済史の勉強ができたらいいな」と思っていると思います。その絶好のつまみが高橋是清という人物です。

1931年(昭和6年)、政友会総裁・犬養毅が組閣した際も、犬養に請われ4度目の蔵相に就任し、金輸出再禁止・日銀引き受けによる政府支出の増額、時局匡救事業で、世界恐慌により混乱する日本経済をデフレから世界最速で脱出させた。Wikipedia 高橋是清より引用

また1934年(昭和9年)に、共立学校出身に当たる岡田啓介首班の内閣にて6度目の蔵相に就任。当時、ケインズ政策はほぼ所期の目的を達していたが、これに伴い高率のインフレーションの発生が予見されたため、これを抑えるべく軍事予算を抑制しようとした。陸海軍からの各4000万円の増額要求に対し、高橋は「予算は国民所得に応じたものをつくらなければならぬ。財政上の信用維持が最大の急務である。ただ国防のみに遷延して悪性インフレを引き起こし、その信用を破壊するが如きことがあっては、国防も決して牢固となりえない。自分はなけなしの金を無理算段して、陸海軍に各1000万円の復活は認めた。これ以上は到底出せぬ」と述べていた[9]。軍事予算を抑制しようとしたことが軍部の恨みを買い、二・二六事件において、赤坂の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発銃撃され、暗殺された。享年83。葬儀は陸軍の統制によって、1か月後に築地本願寺で営まれた。Wikipedia 高橋是清より引用

悪性インフレを回避する目的で軍事予算を抑制することは、経済史のなかで一概に言えることではなかったと思います(関係ないって言ったのアメリカかな?)。あんまり詳しくないけど、犬養毅は外資に頼る意向があった気がするけど、高橋是清は内需って言っているよね。

インフレ ⇒ デフレの松方財政

1881年頃、西南戦争の戦費調達のために不換紙幣が濫発されたためインフレに陥っていた日本経済を、松方正義は、実際にお札を焼いて立て直そうとしました。その後に日本銀行を設立した人物です。確実に教訓だったはず。

世界史をまったく知らないことで不安になるくらいなら読む本

経済史を勉強する前段階的に世界史を本当に知らない

世界史を今さら勉強したくないひとで、経済史を勉強しようにも「そんなの常識」みたいに思われている要素からして頭にないせいで苦痛苦行だと言う人もいるはずです。上記の『図解雑学 横割り世界史』は大変おすすめな一冊となっております。決してアホではないのに、いまいち高等学校で世界史を勉強したくならなかった時点で、君が望んでいる世界史の参考書は十中八九、こういうのだと思います。一旦エジプトや地中海方面の話をしてから、また時間がいくらか巻き戻って別の地域の学習が始まるとき、その時点で苦痛なんだと思います。

世界が経済でつながった大航海時代以降

実際、経済史、世界経済史の勉強をするにあたって要点になってくるのは、植民地主義、産業革命、帝国主義時代、冷戦など、全球的なムーブメントが狙われている気がしますね。横割りのほうが、経済史前提なら今更苦にならなくていいと思います。

難関大経済学部!合格したかったら数学力の時代

微分と偏微分の違いがわかると超有利

関数がわからないひとは、そもそも二つの量が伴って変化するという現象が理解できない。お風呂のお湯を入れっぱなしにすると溜まりますが、お湯を入れた時間と溜まった量は伴って変化します。

はい!アウトーーー!!!

たぶんいまついてこれなかったと思う。なんでそんな言い方をするんですかと思ったと思う。一言、「増える」って言えばいいじゃないですかと思ったと思いますが、数学(関数)というのはとどのつまりそのあたりの配慮が徹底的に欠落した学問領域なんですよ。お湯を入れた時間と溜まった量は伴って「増える」んじゃなくて「変化する」んだお!

これが怖いか?

おんなじだお!もはや日本語で書いてもらえないんだお。伴って変化する二つがあるといきなりこういう記号を読まされる。これは「 t がほんの少し増えたとき、f がその何倍増えるか」です。こちらの記号で書かれている場合は、tがほんの少し増えたとき、数式上明確になっているfの増分だけでなく、たとえばtが増えたせいでxもいくらか増えていて、xがいくらか増えたせいでfがいくらか増えるぶんも全部計上してあげないといけません。

これも「tがほんの少し増えたとき、fがその何倍増えるか」ですが、こちらはtがほんの少し増えたとき、数式上明確になっているfの増分だけで構いません。

近傍がわかると超有利

電車が駅に到着して出入口がプシャーッ!て開いたとします。するといままでホームにいた人たちが複数ある出入口のどこかに吸い込まれていくと思います。たとえば筆者が a1 という位置にいたとして、一番近い出入口が a だとしたら。一歩二歩、体を揺するように出入口に近づいて行って、たとえば、

a1 → a2 → a3 → a4 → a5 → a6 → a7 → a

のように位置が変化していくとします。7歩だったわけですね。これは筆者の位置である点列{ai}が aに収束したことを意味します。ちなみに右から近づいても、左から近づいても同じ出入口ならば同じ位置に収束します。

Nε(a)が定義された近傍。aは出入口。a-εはaに必ず吸い込まれる位置の左端、a+εは右端。
数学の「近傍」とは、「ある特定の点の近く」という意味ですが、もしも a の半径 ε 以内であれば必ず点列 {ai} が a に収束するということであれば、そういう意味合いで「近傍」を定義することができますし、その「近傍」にある任意の点は、あるaに収束する点列{ai} が存在して、そこに含まれると言えます。 現実には車内混雑していたりして、ドアの目の前でも諦める場合があるから、このような近傍は定義することは難しいかもしれないですね。

式が同時に成り立つときグラフでは交点だとわかると超有利

AさんとBさんは、ある同じ船について、川を上ってきて、ある場所で停留している姿を、まったく同じ時刻に見る体験を何度もしてきたという。

Aさん:船は0.4km地点からスタートして時速0.6キロメートルで川を上ったとしか思えない

Bさん:船は0km地点からスタートして時速1キロメールで川を上ったとしか思えない

毎回「1km地点」にあたる場所で停留しているのは間違いないのだろうなと思います。

曲線の概形がわかると超有利

君たちは中学三年生の頃から、「-2≦x≦4 のとき y の最大値はいくつか?」という問題に対して、x=-2 のときと、x=4 のとき、この二つだけ調べて比べても不正解になったよね。一次関数までだったらどっちか大きいほうだったよね。でも二次関数を習ったあたりから、急に苦手になったよね。

しかし君たちだって、2月の模試で偏差値52で、11月の模試で偏差値52だから、「上手く維持してこれたね。でもここから伸びる受験生は大勢いるよ。」と言われたら嫌だよね、夏休みにうんと頑張って9月の模試でA判定だったことを省略されたくないよね。

曲線には概形があるんだけど、概形がわかるというのは「絵的にイメージできました」というわけでは断じてなくて、つまり実際に描画しなくてよくて、早い話が「極値」がいくつあるのかわかればいいんだよね。極値と次の極値の間には、変曲点という名前の付いたスポットがあるにはあるけどそこまで気にしないでよくて、極値と次の極値の間は「増えているか、または減っているか」しかないからな。だから極値と呼ばれるものを左から順に1,2,3,4と番号ふったとして、まあ本当は4つも多くないんだけど、1と2の間は増えてました、2と3の間は減ってました、3と4の間は増えていました、こんな感じなわけです。ここで2と4のどっちの値が高いですか、とか関心事にならないといけない。

第二次導関数の符号を調べる最大の理由。

問題は「極値」だったら「導関数=0」だけど、「導関数=0」だったら「極値」ってわけじゃないところな。そっちなんだわ。

陰関数定理がわかると超有利

陰関数定理とは、たとえば次のような式に出会ったときに

中学生の頃から数学が得意な君たちは「等積変形」をして、y を x の「関数のように書く」ことができるね。でもね、「関数のように書く」という作業が終わったとたん、やっていいとは限らないのが「だからyは x の関数です」と定義することだよね。関数であるためには、x に対して y が一意に決まらないといけなかったよね。また連続関数だったり、微分可能だったりすることは、どうやって保障されるんだろうな。

そのあたりについて説明しているのが陰関数定理なんだ。どんなとき、等積変形をして遊んでいいか書いてあるんだ。

これはまず左辺をxとyの2変数関数としてみたときに、ある特定の点(座標)において、

① x の偏導関数 ② y の偏導関数

がそれぞれ定義できた(左辺が一階微分可能だった)うえで、その特定の点で②≠0を満たし、かつその特定の点の近傍で①②が連続関数であるとき、近傍では「関数のように等積変形した y = φ(x)」は陰関数で微分可能なんだよということ。

はさみうちの原理がわかると超有利

まず、はさみうちの原理がなりたたない場合を紹介します。

L’Arc〜en〜Cielさん♪ 途切れない空を何処までも♪影さえも映らない世界へ♪

Glayさん♪ Good-luck 錆びれた影が貴方が♪ジェラシーさえも傷つけた♪最後まで♪

もしもですね、お二方に挟み撃ちされていたとしても何を唄うかわからないわけです。しかしこれが、関数二つだと挟まれている関数の値は予測できる場合があります。そもそも関数二つに挟まれているというのは

任意のxについて、f(x) > h(x) > g(x) がなりたつ

ということです。挟まれている関数がh(x)で、挟んでいる関数がf(x)とg(x)です。ちなみにこれを、関数 f と g が 関数 h を挟んでいるという言い方をされてもひるまないようにね。おんなじだよ。

あとは簡単です。x=0のとき f(0)=g(0)ならば、f(0)=h(0)=g(0)ということですが、これが無限大の極限でもなりたつことがわかっているということです。x→∞で同じ考え方していいんだって。そんなの当たり前だろうという人は、確かに本格的に勉強した人よりも理解が不十分なのですが、そういう会話の流れで「ブッブーッッ!」っていうひとのせいで数学嫌いな人が増えるんだよね。わかればいいですよ。教わったひとが間違えないように教えることのほうが大原則だ。

くやしがれ

学習塾でアルバイトしていたときに、中3生徒に「くやしがれ」と言ったことがある。学校の定期テスト(数学)が30点だったため。お前はそこからだと、思ったことを包み隠さず言ってみた。生徒は悩んでしまった。ただ何か申し訳なさそうに苦笑いしてみせることを辞めた。くやしいという気持ちがないようではダメだ。筆者なんて、最低限だとしか思えない。高校野球で、「あ~、ダメでしたエヘヘ~」なんていう選手は県予選でも一人としていなかった。くやしがるのは上達の土台だとしか思えない。

ただ当たり前であるが、数学は野球ではないし、教室は野球部ではない。勉強とはつまり義務である。授業が画一的に、やりたくもないものが全員一律に、施されるなかで、生徒の人間的な個性の多様性を見守るという意味では、結論勉強も出来ないのは受け入れるべき個性の一つではないのかと思う。つまり、勉強ができない、イコール、否定、という考え方の犠牲者を生むべきではないと思いとどまるものだ。数学で30点でも平気な生徒は、本気でそんな自分を受け入れているなら、他人にも優しいだろうと。実際そういう生徒だったと思うし、何人も見てきた。

しかし学校がそのあたり明確に答えがだせないままでは、学習塾という存在は非常に、厄介なものになってくるだろう。学習塾は成績を伸ばしさえすればよい場所だ。学力に関心のない生徒の個性を学習塾は潰すし、学力を伸ばしたい生徒の信頼もさらっていくわけである。しかし数学は30点でいいが、30点でいいやはまずい。これが筆者の本音である。数学が30点だったひとの未来はバラエティに富んだものだが、何かにつけて「30%でいいや」と思えるひとは確実に痛い目に遭う。学習塾は非常に危険な仕事だと思う。学習塾もなにも勉強なんて一切できないヤンキーが、スーパーの野菜売り場で真面目に働いている姿を見たときは、本当にわからないものだなと思う。

強そうなアルファベット

小学生の頃、野球のジャイアンツの帽子を被っているひとが、腕力の強そうなひとに見えたことがあります。ジャイアンツのせいなのか、文字そのものの形のせいなのかはわかりませんが、アルファベットには印象論として、「強い」、または「弱い」があるかもしれません。今回は、質問紙を作り、横に並んだ五文字のアルファベットが強そうに見えるか調査しました。


R U K W H

質問1.左から一番目のRは強そうに見えますか?(はい/いいえ)
質問2.左から二番目のUは強そうに見えますか?(はい/いいえ)
質問3.左から三番目のKは強そうに見えますか?(はい/いいえ)
質問4.左から四番目のWは強そうに見えますか?(はい/いいえ)
質問5.左から五番目のHは強そうに見えますか?(はい/いいえ)

このような質問を繰り返し出題した結果、Rは60%のひとが強そうだと回答しました。Rの位置や、他のアルファベットとの組み合わせをさまざまにしてこのような質問を繰り返したのですね。

G 0.872
Z 0.86
X 0.814
V 0.804
W 0.798
K 0.732
B 0.608
R 0.6
A 0.574
こんな感じでしたね。

V F Q X Z
上の文字列は確率論の計算であれば15%の確率で五文字すべて強そうに見えることになるのですが(詳細略)。しかし実際にすべて強そうに見えたひとの割合は7%でした。組まされると弱く見えてくるアルファベットがいるわけです。

B G Z T A
上の文字列も確率論の計算であれば12%の確率で五文字すべて強そうに見えることになるのですが(詳細略)。しかし実際にすべて強そうに見えたひとの割合は8%でした。やはり組まされると弱く見えてくるアルファベットがいるわけです。

「はい」の割合は左から何番目であるかに大きく影響しませんでした。全体であれば5つの位置についておよそ50%前後で大きな違いはありませんでした(詳細略)。しかし、
Fが強そうにみえた割合
0.83  F H A N R
0.70  V F Q X Z
0.64  N X F G D
0.56  T N U F S
0.73  O L T R F
アルファベットのFに関しては、位置によって大きな違いがありました、しかし、これは組まされた別のアルファベットの影響も受けるわけですから、一概に言えないものになります。

正しい統計学の手法はこちら