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重要なお知らせ

憲章

今日編入試験が情報戦であるとは、情報を的確に収集した者が有利だという動かし難い事実というよりはむしろ、スマートフォンで自分のタイムラインを視ていれば情報のほうからやってくる感覚の受験生に、SNSでリーチしてくる情報提供者がDM等でささやきかけることで、すべての情報が手に入った理想的な状態に比べて偏った情報を掴まされてしまうリスクがあることです。

つまり情報戦だと思っている情報提供者とはトートロジーなのです。情報戦だと思い、自分自身の持つ情報を絶対視するあまり受験生に自分から接近する情報提供者によって、受験生の握る情報が偏り、それが情報戦である有様を恒久化させるのですね。

結局、Aという手法によって、合格点に到達する者と不合格にしかならない者とがいる以上、強烈にAが配信された段階で情報戦の始まりなのです。

極端な意見を引用すると、「編入試験に際して、できなかったり、わからなかったりしたら、『できませんでした』、『わかりませんでした』と自白することが最も正しい受験生のありかたで自然なものだ」という考え方があります。この考え方は一定の修正が必要です。人と人とが、出会い、互いに共感し合ったり、修正し合ったりすることは、道徳的だとアダム・スミスも論じています。概ね勉強する者、概ね教える者というバランスであっても、それは変わらないのですね。

話が少し逸れますが、当委員会(編入予備校撲滅委員会)は、そのような思想に従って指導を無料で提供することを支持します。平たく言うと、五分五分では断じてないものの指導員も勉強になっているからね、ということです。

さて、必要な量の勉強をして、当日最大限の実力を発揮して、合否を受け入れるという考え方は、それはそれとして、受験生を指導して合格に導く者の最低のルールとして「狩り」はしないというお約束はしていただきたいです。DMの勧誘やステルスマーケティングがあれば、当委員会は抗力となります。また、無償提供者に対する攻撃とは、過去の事例で言えば「インターネット上で無償で志望理由書の添削を引き受ける者を信用するな」と言い有料サービスに誘導することですが、一切なさらないで頂きたいです。有料サービスへのネガティブキャンペーンは、抗力として必要ですが、その抗力を生み出す母体である無償提供者を攻撃することは、越えてはいけない一線に違いありませんね。

情報提供者諸兄は以上を守り、自分達の自由な思想に殉じて各種サービスを運営し賜え。

編入予備校のSNSでのステルスマーケティングに損害賠償を請求する運動

政府有識者検討会で方針が示されている

ステルスマーケティング(以後、ステマ)とは、たとえばSNS上で一般の消費者の投稿を装ったり、一般の消費者に口コミとして特定の投稿を依頼して報酬を支払ったりする行為のことを言います。こうしたステマは今後処罰の対象になることが、政府有識者検討会で示されています。いままでは「優良誤認」というものに関する規則が、ステマを守備範囲としていました。いままではステマ行為に及んだ企業に対して、モノを盗んだり、人を騙したりした人と同様に刑罰を与えるには、「優良誤認」というものに関する規則の構成要件を満たさないと、警察も行政も動けませんでした。それが変わります。ステマをする企業、いままでグレーゾーンを巧みに捌いて許されていた悪徳業者を、取り締まることができるようになります。

罪刑法定主義の我国で遡及刑罰は禁止されている、しかし民事ならば

罰則を規定した法律が成立したからと言って、その時点から遡って罰則を与えることは許されていません。これは罪刑法定主義です。しかし刑事訴訟ではなく、民事訴訟であれば、その時点においても過去のステマ行為に起因する損害が確認されたり、することによって、現行法の規定を大いに参照しながら事実上の遡及が認められる可能性はゼロではありません。

証拠の集め、署名運動の開始

さいたま中央ゼミナール、動きます。SNSで編入予備校等業者のステマ行為と思しきものに対して、徹底的に記録を収集していきます。内部の人間との接触や、事実上の被害者にあたる受験生や保護者の方のご意見や情報も集めさせていただきます。他の業界で「ステルスマーケティング被害」を旗揚げした既存の被害者団体の先達を見習い、彼らと面談などして、正しく被害者団体を設立していきたいと思います。

ご協力をお待ちしています

同様の問題意識の方の協力を求めます。是非ご協力ください、どうぞよろしくお願い致します。

WBC2023日本優勝おめでとう記念!いま振り返る佐々木朗希の登板回避問題

謝辞:日本代表の皆様おめでとうございます。佐々木朗希投手もおめでとうございます。

筆者は、試合がターニングポイントに差し掛かるほど配球の読みを捕手に外されるレベルの野球フリークだ。インコースとアウトコースの違いがなんとなくわかるから、なんでもないような場面なら次のボールが大体当たる。野球少年時代に、部活のコーチから「ボールの軌道を覚えて、投球を点ではなく線でとらえてごらんなさい。」と教わったものの、インコースは点でとらえるしかなく、アウトコースに行くほど線でとらえやすくなる。バッターボックスの構造上そのようになる。だから速球はインコース、変化球はアウトコースがセオリーになってくる。おそらく初歩の初歩だろう。筆者が捕手をやるとしたら、真ん中高めに外れる剛速球の使い方がいまいちわかっていないなと自分で自分に思う、そんなレベルである。

次のボールの予測が外れ始めると、打者や投手、捕手の顔色やジェスチャーをなんとか読み取ろうとして、いるうちに、一人ひとりの選手をあたかも等身大で考えるようにもなった。心理描写と言うか、人の心理と言えば大学で勉強したことに少し関連あることだ。もしかすると、試合中の選手たち一人ひとりをスタンドで応援しているファンより、等身大で鑑賞したがる少し変わった野球ファンかもしれない。

もちろん野球は見世物だという考え方は嫌いではないし、筆者自身が楽しんで観ている。選手たちへの批判も、本当は温かなものなのだろうなと思う。しかし野球を批判する者が、「所詮見世物だと思っていますね。」とは絶対に受けてはいけない誤解だろうなと思うのである。「楽しくみています、ありがとう。」という感情より大きくなってしまった批判騒動というのは、その辺りを空虚にしてしまうなと思う。技術的なこととして、毎日ケアしている現場の人物の判断は絶対だ、と言うことは、たとえば「野球解説者の自分がこういう発言をしなければならない」のような使命感に駆られても、見落としてはいけないなと思います。そうでないと、「どうして毎日ケアしている人の意見が差し置かれるのですか。」という所から意見が出たりするし、悪くすれば、「差し置いていいから言っているのですよね。」となりかねない。何某か使命感から発言するときは、自分の発言がスタジアムになることまで想定して、慎重に前置きまでできるとエレガントなものだろうなと思う。

佐々木朗希投手はチャプマンみたく代名詞になってほしいです。筆者は、ふざけて、「チャプマン」と言いながらマウンドに登って見せたことがあったのだが、そこが「ささきろうき」とか言いながら、になって欲しいと思う。