覚えておきたい経済史の人物は高橋是清

覚えておくべきだと思われていない

高橋是清が覚えておくべき人物だと気づいた人は、そのことをひた隠しにしすぎです。効率よく勉強したい君達は、「テーブルクロスをつまみあげるような感覚で経済史の勉強ができたらいいな」と思っていると思います。その絶好のつまみが高橋是清という人物です。

1931年(昭和6年)、政友会総裁・犬養毅が組閣した際も、犬養に請われ4度目の蔵相に就任し、金輸出再禁止・日銀引き受けによる政府支出の増額、時局匡救事業で、世界恐慌により混乱する日本経済をデフレから世界最速で脱出させた。Wikipedia 高橋是清より引用

また1934年(昭和9年)に、共立学校出身に当たる岡田啓介首班の内閣にて6度目の蔵相に就任。当時、ケインズ政策はほぼ所期の目的を達していたが、これに伴い高率のインフレーションの発生が予見されたため、これを抑えるべく軍事予算を抑制しようとした。陸海軍からの各4000万円の増額要求に対し、高橋は「予算は国民所得に応じたものをつくらなければならぬ。財政上の信用維持が最大の急務である。ただ国防のみに遷延して悪性インフレを引き起こし、その信用を破壊するが如きことがあっては、国防も決して牢固となりえない。自分はなけなしの金を無理算段して、陸海軍に各1000万円の復活は認めた。これ以上は到底出せぬ」と述べていた[9]。軍事予算を抑制しようとしたことが軍部の恨みを買い、二・二六事件において、赤坂の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発銃撃され、暗殺された。享年83。葬儀は陸軍の統制によって、1か月後に築地本願寺で営まれた。Wikipedia 高橋是清より引用

悪性インフレを回避する目的で軍事予算を抑制することは、経済史のなかで一概に言えることではなかったと思います(関係ないって言ったのアメリカかな?)。あんまり詳しくないけど、犬養毅は外資に頼る意向があった気がするけど、高橋是清は内需って言っているよね。

インフレ ⇒ デフレの松方財政

1881年頃、西南戦争の戦費調達のために不換紙幣が濫発されたためインフレに陥っていた日本経済を、松方正義は、実際にお札を焼いて立て直そうとしました。その後に日本銀行を設立した人物です。確実に教訓だったはず。

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