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安室奈美恵 chase the chance のラップで垣間見る社会規範と功利主義の接続

安室奈美恵 chase the chanceとは、TVドラマ「ザ・シェフ」の主題歌(1996年リリース)です。

教え込まれた協調性 いいこはいいこにしかなれないよ

社会規範を守る人について「いいこ(優等生の類)」という表象が用いられる含意とは、社会規範を守る動機付けに功利主義が暗躍している現実が避けられない、という意味に他ならないでしょう。問題は「協調性」という、特に日本人社会であれば異論なき習俗(フォークウェイズ)であるということです。道徳を経験科学的なものとして眺めたうえで、その動機づけに功利主義がある現実が、いかんせん、垣間見れることもあるものだと思いました。

罪なき歌声

ふぁ〜らぉ♪ふぁらお♪

旅の一行。前列中央にツタンカーメン装束の男性。付き従う沢山の乙女たち。

あなたは誰ですか?
ふぁらおです^ ^

すると後ろの乙女たちが歌い出す

ふぁ〜らぉ♪ふぁらお♪
ふぁらおふぁらお♪

何やら楽しそう
人々が集まります
皆口々に
ふぁらお♪ふぁらお♪と呼びます

ふぁらおが言いました

3回は呼ばないでくださいね^ ^

笑う人々
ある男が笑いながら呼びました

ふぁらお!ふぁらお!

え?^ ^

ふぁらお!!!

次の瞬間男の頭が爆発しました。
ババーン!
三回呼んでしまったからです。

すると後ろの乙女たちが歌い出す
ふぁ〜らぉ♪ふぁらお♪
ふぁらおふぁらお♪

Twitter編入界隈などにいる合格者系情報発信者について

一次情報の自負心

編入予備校の発信情報も輩出した合格者情報に過ぎない以上、編入学情報とは全て合格者を果実に見立てれば搾り取った果汁のようなものです。それを合格者が本来的自己権益に位置付けて守る、システマティックに守る、というのは一定の擁護が可能です。つまり交流や課外活動に発展させていく「資源」として合格者一人ひとりの持つ編入学情報の価値を陳腐化しないようにすることに一定の擁護が可能です。

デマンドサイド

編入学情報は受験生が利用するものですから受験に役立たないと意味がありません。編入予備校、WEBサイトやWEBサービスなど編入学情報のデポジットと比べて、Twitter編入界隈は一覧性を担保する工夫がより求められます、SNSの構造上必須になってきます。つまり一定のネットワーク性があるものの点在する合格者系情報発信者の持つ情報を偏りなく集めることは容易ではなく、工夫が必要なのです。

観測された需要

インターネットで情報収集する受験生達の需要とは下記。

  • 志望理由書、面接
  • 合格者体験記
  • 過去問情報(入手方法、出題、解答例)
  • TOEIC(合格スコア、勉強法)

あまり各分野(例:国際関係論)の指導系コンテンツを制作しても市販参考書や既存WEBコンテンツより優れていなければ見向きもされない現実があります。大学編入!文系の対策も「志望理由書の書き方」「過去問入手方法一覧」が突き抜けて読まれていて、「合格体験記」「過去問情報(人気校)」「指導系コンテンツ(最も読まれている部類)」が同じくらい読まれています。現実世界で学生同士のクチコミが機能している可能性は非常に高く、ファン層が読んで良いものだと思ってもらえるとライトユーザにも浸透するようです※そのような憶測のできる数値の挙動が確認されています。逆に役に立たないとみなされた記事は本当に誰も読まなくなります。

指導系コンテンツの質的な需要

行列AとBの積ABで rank(A) ≧ rank(AB) に納得ができるまで
上記が読まれています。受験生がインターネットに求めているものは、教科書的網羅的な記事も大事ですが、受験生(学生)と接するなかで発見された「現実的な課題」について取り組むと一定数読者がついてきます。

受験生と接した時間のスピンアウトが過少

受験体験記をnoteなどWEBに投稿(コンテンツ化)した後で情報発信者の活動をするのであれば、もちろん個人情報の関連があるものの、受験生と接する時間の中で新たに知り得たことをスピンアウト的にコンテンツ化することは大変重要です。Twitter編入界隈の合格者系情報発信者は情報の果実としての自己にプライオリティを求める一方で、受験生との対話をスピンアウト的にコンテンツ化する仕事は、率直に、出来ていない、あるいは非公開情報としてオフィシャルなレビューが行き届いていないものになります。一次情報の(相対的)価値を擁護する立場に固執すると、それが(相対的)陳腐化するような仕事を、あえて手間暇かけてしていくことは、当然やりたくないと思います。

政治学を馳せる-O’Donnell & Schmitter 1986-

オドンネルとシュミッターの民主化研究

オドンネルとシュミッターの民主化研究とは、1986年共著 “Transitions from authoritarian rule: Comparative perspectives”(O’Donnell & Schmitter 1986)であれば、権威主義体制の崩壊過程に関する彼ら一連の研究である。権威主義体制とは、被治者(個人や社会組織)が、指導者(一名から少数)に服従するに指導者の持つ「権威(=他人を従わせる威力)」に服従しているとして、その政治体制のことである。権威主義体制の崩壊過程とは、一つの政治体制(権威主義体制)と他の政治体制への移行過程である。特にオドンネルとシュミッターの民主化研究は「自由化」と「民主化」を明確に区別したうえで独裁(両者の度合いが低い)から政治的民主主義(両者の度合いが高い)までの中間的形態として過渡期的形態を定義してみせた。1980年代当時世界中が注目していた「どのようにして民主化が起こるのか」というテーマに取り組んだという意味合いで独創的な研究である。また1980年代頃の比較政治学研究の流行は70年代民主化を経験した南ヨーロッパ(ポルトガル、ギリシャ、スペイン)に関心を寄せるものであったが、オドンネルとシュミッターの民主化研究はそうしたスペシフィックなもの(c.f.事例研究)というよりはむしろユニバーサルなもの(c.f.理論研究)を目指したという意味合いでも先駆的取り組みであった。その一方で国際関係論の文脈で語られる冷戦崩壊後(1989年以降)東欧民主化の事例を説明するに、オドンネルとシュミッターの民主化研究(国内政治的要因(c.f.タカ派とハト派))では説明力が弱く課題となった。【参考】