投稿者「おしりファルコン公爵」のアーカイブ

試練

大きな人物になるまえに大きな試練がやってくる。立ち上がれなければ這ってでも進んだものに道がある。

園田は。
俺もやってやる。
やってやるぞ。
と言った。

聴いていた烏丸は言った。
凄いなぁ。
そんなこと考えて。
園田ならできるよ。
絶対にできるよ。
そう言って笑った。
笑って見せた。

烏丸は、一足早く昼休みに出た。
駅前の日高屋。
少なからず混んでいた。
他人と隣接しなければならない。

烏丸は。
少し歩いた所にある松屋に向かった。
松屋も同じような状況だった。

烏丸は少しイラっとした。
セブンイレブンに行った。
空いていたので少し長居をした。
何を食べようかな。

やがて食糧をもってレジに並ぼうとするとレジが長蛇の列になってしまっていた。

おしまい

ボードゲーム説

すべての人間は大なり小なり、規定の範囲内であれば賢い。大なり小なり賢いのではなく、基本的に賢くて、規定の範囲に大小がある。ババ抜きで勝ったら銃が出た。クチも利かずに勝つからだ。納得がなければ限界まであるのは当然だ。そんなことを言う人間に限って、気が狂ったように、「デートをしたのだから、別れるならキチンと筋を通していかないか。」と顔を真っ赤にすることもある。結局、みんな、毎度なにかしらボードゲームのように括った範囲内で頭を使っているし、そのボードを叩き割られるようなことをされると困るのである。別の考え方をすれば、そのボードの大きさ、ここでは大きさという日本語を用いるが、それについて妥結できていることが合理的な交渉に違いないのだが、そんなことを一からやること自体が、メタ的な意味合いになるのだろうか、その手の妥結に他ならない、言葉遊びがしたいのではない。結局みんな、自分の得意なボードに相手を引きずり込んで上手いことやりたいなと、思うものなのである。

しかし安穏と暮らしていける範囲内とは、むしろそのような「ボードゲーム説」の意味がわからないような集団のことを言うと筆者は思う。どういうことかと言うと、実際前段落の話が聞くに堪えなかったひとはかなりいると思っている。そんなことを考えていたくないと言うか、率直に「気持ちが悪いだろう」、別に相手のボードを叩き割るつもりなどなく、納得がいかなければ教えて欲しいし、負けでいいやという感覚も誰しもが養っているものではある。しかしそれは上で述べた「ボードゲーム説」が、穏やかに実行されているだけで、一応、意味もなく闘ってはいるのである。安穏と暮らしていける範囲内とは、そもそもボードゲームが一切行われない集団の範囲だろう。機能不全家族とは、家族間で経済的な利益、不利益の折衝があるのは当然として猜疑心が横行しているような家族である。そうではない家族(機能家族)とは、典型的な安穏と暮らしていける範囲である。

勝てるゲームをしたい。冷静に考えれば、ボードの大きさを自分で決めることができるのであれば、直感的極論として絶対に負けはないだろう(そいつの頭の中で)。しかし冒頭ではあのように述べたが現実に賢い、賢くないは確かに存在して、相手のボードゲームを受け入れたうえで勝ち始める人間もいるのである。喩えて言うならクモの巣をテンテンテンテン…とクモのように歩いては食肉に長けた生き物なのだ。住んでいたクモの御機嫌も構わず、その巣で暮らし始めるオオキナモノなのである。上がり込む、上がり込まれる、上がり込んでしまうということがあるのである。それが、「安穏と暮らしていける」という願いを奪い去っていくのである。

違うなら違うし違うんじゃないの

おしりファルコンは元大リーガーのイチローさん(鈴木一郎)を引き合いに出す発言が多い。これについて、「彼は自分がイチローに匹敵するとAの観点から思っている、しかしBの観点から大きく劣っていることに気づいていない、イチローさんに失礼だし、真に受けた青少年らは可哀想だ。」というコメントをした高校教諭がいた。冗談めかして「ファーストゴロの打ち方を追求しているうちに本当にそのようなレベルに衰えた」、その裏では大学生に向かって「野球ヲタク以下だ」など目に余ると言う。基本的に学校教諭とは、教室の統制のために「デタラメ」なことを言い続けなければならない。おしりファルコンのような大人になるなとは正論に違いないから、一般青少年に向けて発信するのは仕事の範疇として、いかにその考え方を免罪符にしているかは周知の事実である。

違うなら違うし違うんじゃないの。イチローさんに匹敵しないのであれば、匹敵しないと思うし、実際問題匹敵しないんじゃないんですか。本当の正解を言うと、こういうリアクション、特に「誰もそんなこと言っていないだろう」と顔を赤くして反撃すれば、「従順」、「教員に対して素直」という評価を教員側で採点する、「だけ」、である。

高校教諭に逆らいたかったらメタ的にいかなければならない。筆者も高1のとき、「千円で買える個性で満足する人間になるな」という一行と共に染髪(茶髪)を咎められたことがある。担任からである。件の一行が一切納得がいかなかったため、筆者だけ黒髪に戻さず一週間登校してみせた。結局、担任とは口論の末、「命令として黒髪に戻せ」と言われたので、ハッキリ言って差し上げた、「結局それだけの話なら最初からそう言って欲しかった。」。一人の人間として、コミュニケーションをとりたいのであれば、もちろん構わないが、教員というパワーバランスで強制されるのは苦痛でしかないことを、「イイセンセイ」は知っておいて欲しいと切に思う。

何事も社会勉強だと言ってしまえば、間違った人間にも頭を下げなければいけない、しかし先述の通り高校教諭がいかにその考え方を免罪符にしているかは周知の事実である。大人を養成していると言ってしまえば、間違えて構わないのである、大学教員になるとさらに酷くなるが、もはや青少年育成などという公儀公論自体を放棄してくれているので、鬱陶しくはない、ただ提供しているものの正当性は更に劣悪になる。そんな自分たちの至らなさに詳しければ、オソライソ編入学院が高等教育機関に匹敵したがっていることにしてこき下ろせるものだ。しかし、違うなら違うし違うんじゃないの。

編入学情報「アマチュア情報提供者」に欠けているもの

編入予備校ハナフィの屋号で情報提供サービス。オンライン編入予備校。オンライン家庭教師。筆者もZOOMやchatworkで相談に乗ることは何度もあったので、わかる。手軽に授業なり情報提供なり、できてしまう。オンラインとは、受験生というよりは、むしろ講師のような真似を「したい」人に手軽なものなのである。

結論から言うと、手軽に始めた「アマチュア情報提供者」に欠けているのは自覚というか、自認である。要は、自分達の勝手知ったる領域、で、なら、情報提供可能だと言うだけで、その雛型で極論「日本中のどの編入学試験についても同様にアドバイスできる」という欺瞞と虚栄心に満ちているのである。

編入予備校ハナフィのオープンチャットで「統計学が統計科目、あるいは数学科目として出題される大学学部は調べてありますか?」と聞くと「知らない(…「知らない」ならまだいいがその水準で情報収集が出来ていない見切り発車であることは聞くまでわからなかった)」

プロでも数名規模の小規模学習塾(編入対策)であれば、「ウチは○○大学の対策がメインで、他大になると基礎的な指導しかできませんよ?」とハッキリ言う。これが最も誠実な対応であり、別の言い方をすれば唯一正解の対応なのである。しかし、昨今この業界で、オンライン編入学院(マーケティングに広告代理店のファーストキャリアを起用した新進気鋭予備校)のマーケティング手法が戦略として評価されるようになると…そのような誠実なトークは「弱気」、「本当に指導できるかわからない」、という印象論に陥ってしまっている。昨今の情報弱者向け搾取ビジネスが「ハッタリ商法(とにかくオオミエを切って客寄せする商法)」を選んでいるせいなのかは知らないが、売る側に「勢いがない」と見向きもされないコモンセンスがたゆたっているかのようだ。

問題はここからなのである。「それで」「いいんだ(出来るんだ予備校のような真似が)」と思った、大学生グループが挙って真似事を始めて収拾が付かないのである。筆者も140km/hの投球ができればプロ野球でピッチャーが務まると思ったことならあるが、180cm超の成人男性がずっと野球をしていれば、それ自体は出来るようになるものだ(いや、そんなことが言いたいのではない、ここで言いたいのは)、しかしそのような剛速球を武器に、精巧なガラス細工のような試合を、他のプロ選手をリーディングしながら構築するのが仕事だ。そういう感覚で、自分に編入学情報提供者が務まるかどうか判断しているとは、全く、思えない、マーケットが形成されてしまっているのである。

回転式徳俵

相撲。

よりエキサイティングなショウビジネスへ。

外国人力士が増えた日本大相撲は。
ついに相撲メジャーリーグと呼ばれ。
その後も海外投資家の惜しみない出資を馬鹿正直に受け入れた結果。
世界的スポーツビジネスの大物コミッショナーらによる実験的ルール改正の場。

回転式徳俵。
春場所から徳俵が回転する。

相撲は。
日本国。
同じ日本語系民族。
単一国家における身内同士で過度に相手を加害しないよう縄張り争いを講じるに。
編み出された格闘技にして。
ついに神事たる国技である。

回転式徳俵。

徳俵が回転する。

春場所から。

コミッショナーらは思った。
土俵際での攻防が一変する。
よりエキサイティングになるだろう。

春場所。
千秋楽。
横綱 vs. 横綱。
優勝決定の大一番。

くしくも土俵際。
西の横綱。
あと一歩下がれば回転式徳俵に足がかかるかという土俵際。

東の横綱は。
一瞬。
回転式徳俵に西の横綱を押し込めば勝てると思った。
一瞬そのように思ってしまった。

西の横綱は。
まさか横綱ともあろうものが。
そんなことを考えるはずもない。
横綱は自分の相撲を回転式徳俵にゆずらない。
回転式徳俵の手前で仁王立ち。

東の横綱。
渾身の突き出し。
西の横綱を回転式徳俵に押し込む渾身の突き出し。
徳俵が回転しようと。回転しまいと。
俺の相撲は突き出し。
そうやって戦ってきた。
俺は俺の相撲を回転式徳俵にゆずらん。
徳俵が回転しようと。回転しまいと。
俺の相撲は俺の相撲なのだ。

西の横綱。

上手投げ。
自分の相撲に回転式徳俵など眼中にないから横綱なのだよ。

回転式徳俵の上空で回転する東の横綱。

あるいは俺だ。
俺が回転式徳俵だ。

西の横綱が勝った。

おしまい