ガソリン価格値上げとは、原油価格高騰と同時性があると誰しもが思っている。しかし、人気アーティストのチケット転売価格は人気沸騰と同時性がある。供給と需要のいずれに順応な価格設定かどうかは、サプライチェーンのなかで最終消費者に接近するほど需要の御機嫌に晒されると、直ちに気がつくことができる。しかし、それは、市場で単一の取引相手と長期安定的で継続的な関係を望んでいる需要者との折り合いに晒されると逆説的に言い換えることもできる。さらに言えば、「企業の見える手」、つまり価格決定権のある経済主体(・・・競争市場の価格受容者というよりはむしろ彼に価格決定権があるかのように見える経済主体)とは、わがまま然るべき、滅多にそれを買わない消費者が大勢いる市場で、彼らと直接の取引を回避したい供給者に、架空の長期継続的消費者として仲介の労を担うものなのだろうと疑うことができる。つまり供給者に対して安定価格を、需要者に対して変動価格を、器用に提示し続ける仲介人として、それをやってのける経済主体とは、まさに「企業の見える手」なのだろうということだ。
こんにちは、Warp-manです。
コンビニの漫画雑誌で表紙に女性グラビアを掲載するほとんどが「えなこ」さんを起用していました。詳しい人は、競合横一線にえなこさんを起用している状況で、えなこさん以外を起用すると、変な話、えなこさんを上回る美貌であっても、雑誌の売上は「まず落ちる」と言う。スタイライズファクト(stylized facts)とは、水曜日に株価が上がるなどのアノマリーというよりはむしろ実話に近い、不思議な話である。もちろん実際は、様々なグラビアアイドルを起用しているのであるが、極論「えなこフリー(逆にえなこさんを一切起用しない)」のような真似は経営戦略として大きくリスクをとるものなのだという。
もちろん経済学でしばしば議論される「限定合理性」に対して、行動経済学が面白おかしく「こういう認知バイアスに違いない」を埋め込んでアトラクティブな話題にする作業を、批判をするつもりはありませんでしたが、こうなってくると悪い意味合いのプリミティブ(primitive)だなと思います。つまり行動経済学とはカルト的なトートロジーに陥りはしないだろうかと思うわけです。少なくとも情報非対称性や取引費用といった理由で説明できそうな様々なことを実験的に検証していくことは、行動経済学の相棒にあたる仕事ではないのだろうかと思うものです。