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くやしがれ

学習塾でアルバイトしていたときに、中3生徒に「くやしがれ」と言ったことがある。学校の定期テスト(数学)が30点だったため。お前はそこからだと、思ったことを包み隠さず言ってみた。生徒は悩んでしまった。ただ何か申し訳なさそうに苦笑いしてみせることを辞めた。くやしいという気持ちがないようではダメだ。筆者なんて、最低限だとしか思えない。高校野球で、「あ~、ダメでしたエヘヘ~」なんていう選手は県予選でも一人としていなかった。くやしがるのは上達の土台だとしか思えない。

ただ当たり前であるが、数学は野球ではないし、教室は野球部ではない。勉強とはつまり義務である。授業が画一的に、やりたくもないものが全員一律に、施されるなかで、生徒の人間的な個性の多様性を見守るという意味では、結論勉強も出来ないのは受け入れるべき個性の一つではないのかと思う。つまり、勉強ができない、イコール、否定、という考え方の犠牲者を生むべきではないと思いとどまるものだ。数学で30点でも平気な生徒は、本気でそんな自分を受け入れているなら、他人にも優しいだろうと。実際そういう生徒だったと思うし、何人も見てきた。

しかし学校がそのあたり明確に答えがだせないままでは、学習塾という存在は非常に、厄介なものになってくるだろう。学習塾は成績を伸ばしさえすればよい場所だ。学力に関心のない生徒の個性を学習塾は潰すし、学力を伸ばしたい生徒の信頼もさらっていくわけである。しかし数学は30点でいいが、30点でいいやはまずい。これが筆者の本音である。数学が30点だったひとの未来はバラエティに富んだものだが、何かにつけて「30%でいいや」と思えるひとは確実に痛い目に遭う。学習塾は非常に危険な仕事だと思う。学習塾もなにも勉強なんて一切できないヤンキーが、スーパーの野菜売り場で真面目に働いている姿を見たときは、本当にわからないものだなと思う。

ティゴク・ニオティーロ

ある国の権威ある数学者ヒャヤック・ティネ・ビャッキャロは、若き天才ティゴク・ニオティーロと、ある数学の未解決問題を巡って競っていた。誰も証明したことのない数式だ。二人は帝国ホテルの別々の部屋に閉じこもり、解けるまで誰とも会ってはいけない一騎打ちをしていた。国王の主催した公式な勝負だ。ある日の晩、ティゴクはその数式を証明できた。しかしティゴクの部屋にはヒャヤックの仲間が仕掛けた監視カメラがあった。ヒャヤックの仲間達はヒャヤックに正解を教えると、ヒャヤックは絶対に消えないペンで、バスルームの壁に証明を書き始めた。ティゴクはヒャヤックの鼻を明かそうと、からかうためにヒャヤックの部屋に行った。ティゴクは、夢中で同じ数式を書いているバスルームのヒャヤックに驚くと、咄嗟にヒャヤックを撲殺した、そして自分のペンで続きの証明を書き、書き終えた。犯人は数式を解くことができた者だ。ティゴク・ニオティーロは名誉と引き換えに無罪になった。ティゴク・ニオティーロはその後チェス棋士に転身して有名になった。ある年の世界大会で言った、「優勝するのは私だよ、皆が観ているからね」。