おカネさん

貨幣

ある日、筆者は「おカネさん」に悪口を言ってみた。おカネさんとは貨幣のことだ。貨幣さん。筆者はおカネに向かってこう言ったのだ。「どうせ俺より頭が悪いくせに、年収600万だ800万だ言いながらネットで障がい者なんか叩いて、サラリーマンなんて馬鹿なんじゃねーの。おカネを集めている奴はゲーセンのコインを集めてんのと一緒だよな」と言った。言ったあとで思ったのだ。これは良くないことを言ったなと。

媒体

おカネより大切なものがある人にも、ない人にも、おカネはおカネであって、他の何かではない。この考え方は解体していくと、物々交換の時にみんなが欲しがる品物が一つに定まっていると、その品物Mを媒介していろんなものと交換できるという命題に辿り着く。どういう事かと言うと、リンゴが欲しくてバナナを持っている人は、バナナが欲しくてリンゴを持っている人に出会わないといけない。このとき品物Mがみんなが欲しがる品物であり、みんながそのように知っていると、バナナは持ってないけど品物Mなら持っているよと言えば、後でバナナを持っている人に出会った時に品物Mとバナナを交換すればいいやと言って、リンゴと品物Mを交換してもらえるかもしれない。これがおカネの交換の媒体というメカニズムだが、この話に比べると資本主義というのは遥かに妄信的で狂信的だと言える。みんなおカネをバチクソに集めて誇っている。

制裁

おカネは、道徳や倫理が背いた者を制裁する・しないであまり期待できないのとは違い、背いた者を徹底的に制裁する。反道徳や反倫理を、「道徳さん」や「倫理さん」は見逃してやまない。それに比べたらおカネさんの制裁は特等で、人間の内面をバッチリ規律する。おカネさんの悪口だけは言ってはいけないのだ。おカネを集めるのはそれ以外の何かを集めるのと大差ないだろうなんて、絶対に言ってはいけないのである。そしておカネさんは、「もっと大切なものがあります」というスタンスに関しては許してくれるようだが、文字通り許してくれるに留まり、味方まではしてくれない。

味方

おカネは、より自分に忠実な者に味方する。ただし忠実というのはおカネさんの度量と器量でいくらでも解釈ができるようだ。中央ゼミナール(高円寺)の大学編入部門(SUS部)は、2024年度学生募集停止、つまり今年度から閉店である。まだ一部の部門が生きていて学校全体として経営をしているようだが、どうせ虫の息だろう、筆者は確信している。結局、中央ゼミナールのような怠慢経営はおカネさんに見放されるのだ。わが校は歴史があり、信頼されているから、毎年学生が入学します(お金を支払いにやってきます)なんて言ってるから、いつかおカネさんが味方してくれなくなったんだろう。まるで「信頼さん」がいて、おカネさんより偉いみたいじゃないか。

last man standing

筆者は、「おカネは頂きません、おカネさんを頂くなんて滅相もないです」みたいな、まぁ弱腰ってことになるんだろうけど、ある意味すごくおカネさんに忠実な態度だったため、「大学編入!文系の対策」にしたって、まだ運営できているんだろうな。筆者はそういう理解である。オンライン編入学院もおカネさんが大好きみたいだから、まだまだ味方して貰えるんだろう。思えば、編入学世界で消えて行ったサービスや業者は、みんな中央ゼミナールみたいに、おカネさん以上に一目も二目も置いた別のものがあったんじゃないかな。そうだそうだ、「大学編入!文系の対策」は「経済的余裕のない人にも編入学情報を届けたい」みたいなことを言って、ちゃっかりおカネさんのことアゲアゲだったじゃんね。

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