経済学ってなんだ #3

法。制度に則って機械的に社会問題を処理していくことは、機械的な処理として合理的であっても、それ自体が合理的とは限らないわけである。なぜなら人が善かれと思って欲しいもの、善悪に則った真っ当な欲望に柔軟な経済を、どう活かしていくかの判断が、同次元の問題だからである。特定の課題として、たとえば携帯電話のゼロレーティングを認めるか否かという問題に法が立ち入ってくるさい、そのような点検作業が欲望に柔軟な経済との折衝であることをどこまで留意したのだろうかと考えることができる。

こんにちは、Warp-manです。

ゼロレーティングとは、携帯電話会社が新規契約時に特定アプリケーションに限って通信費を格安にする特約のことです。いま、とあるアプリ開発者が、有名動画配信サービス”Youtube”に対抗して、動画配信サイトを制作し、視聴アプリケーションを開発したとします。架空のアプリケーションの名前は “Mr.broadband”です。ここで、”Mr.broadband”を知った携帯電話会社がアプリ開発者に問い合わせをして、ゼロレーティング特約の選択肢に加える条件をわざわざ提示してきたとします。もしも携帯電話会社が超過利潤を得たとして、超過利潤とは、携帯電話会社が直面する市場(主に本体または通信費、あるいはその両方)で、諸々の努力をした結果によるものではないわけです。このような超過利潤を静観しながら、「全体的に通信費が安上がりになりそうだな。」と期待する人もいるかもしれません。また、携帯電話会社の超過利潤に対して「認知度の高い開発会社のアプリが有利なので、アプリ開発のほうの市場で、公平性を歪めている。」と考える人もいるかもしれないわけです。しかし現実には「ネットワーク中立性」という観点から考える人達で討論になったりもするわけです。

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