投稿者「ドレミファソラシ♪おしりファルコン」のアーカイブ

芸術

ピカソの《夢》 (https://www.musey.net/1471/1472)は、筆者が一番好きな絵画だ。描かれている女性の魔力に魅せられて以来、絵画と言えば、ピカソの《夢》である。知人に「(冗談めかして)ピカソは本当に守りたい女性を描いたんだと思うよ。」などと言ったことがあるが、描かれているモデルの女性(マリー・テレーゼ)は三年後に娘マイアの母になった人物だと、後で本で知った。また、女性の右半身は勃起したピカソの男性器のメタファーだと言う。それで右肩が盛り上がっていて、女性の率直な妖艶さに重ねたのだという理解が、本に載っていた。

ルネサンスは「自我の能動」であり、芸術とはルソー(1712~1778)をして「自由」だと言う。ピカソも、自我を能動的に、絵画を描いていた。芸術作品の中に哲学的な価値観を見出してしまうようでは、画家の世界観の住人になったに過ぎないのだろう、筆者はピカソの絵が好きすぎるようだ。

平和

聡明な若者の中には自分の心身の指針にすべく客観主義的な価値に傾倒してみせる者も少なくない。一昔前のシールズのような平和主義に傾倒した若者など、まさに客観主義的な価値に傾倒した聡明な若者の集まりだ。しかし、客観主義的価値には一定の権威性があることは事実だと思う。もちろん筆者も、平和を愛している。ただ、若者が自分の心身をまもるために自分自身傾倒した価値を守るということであれば、意味合いが変わってくるだろう。彼らが守りたいのは自分自身だし、彼らが愛しているのは平和を愛している自分である。客観主義的な価値とは、つまり「Aさんにとって価値があるが、Bさんにとって価値がない」という対立がない価値ということになる。それは、大勢の人物の「YES(価値があります)」を学習したり、「叩かれたくない」、「悪口を言われたくない」など物事の類似性から「失いたくない」という概念を導き出したりすることで、それは客観主義的価値だという考え方になる。普遍的な平和というものが見えてこなくても、「誰も何も失わない時間」というものの価値は、「平和」として、客観的だ、ということになる。ただし、客観主義的な価値とは、たとえばここで言う「平和」とは、平和という普遍的な本質があるとは限らない。

唯名論をひくとわかりやすく説明できる。「コップ」と言われれば何を指しているのかわかる日常の場面は多いが、「コップ」は名称であって、コップという普遍的な本質があるわけではない。コップには、現代哲学で言うと容器という実体があるが、「容器」にしたってそこに名付けられた名称に過ぎないと言うことだ。容器とひとまとめにするような個別の物体(個物)がどんなにたくさんあっても、それらをひとまとめにして「容器」と呼んでいるに過ぎないと言う。これが唯名論である。

※下記は唯名論ではない、筆者の論述である。

赤いコップ(正)

→赤でないコップ(反)

→コップ(合)

コップである容器(正)

→コップでない容器(反)

→容器(合)

弁証法を用いたが、赤いコップには、赤いコップ、コップ、容器という三つの実体がある。対象が赤いコップであれば、話し手が「赤いコップ」と言った際、聞き手は「容器」と受け取ることがあるし、話し手が「容器」と言った際、聞き手は「コップ」と受け取ることがある。「平和」についても同様で、話し手が「平和」と言った際に、平和を実体としてもつ個物的なものの集合と、そして平和が実体とする個物的なものの集合の、和集合の中から何かが選ばれて聞き手に受け取られるのである。社会主義国が思い描く平和かもしれないし、核兵器がないことかもしれないのである。

活動とは、活動理念の絵画さながら、その活動理念を考える者の自我の能動であって、たとえばコップと言いながら花瓶の絵を描いたら、要するに容器という意味だったのねとなってしまうのである。筆者がシールズに見出したものは、筆者が残念なのか、または彼らが残念なのか、あるいは両者が残念なのかわからないが、「平和主義も権威性を帯びるのだな。」という認識であったのだ。

理性

羽をもがれた蝶にも生命があり、死するまでの間に活路と彼女なりの哲学が勃興するのです。しかし死刑とは、その場で魂を処断することになります。死刑は憎しみを肯定し、許さなくてよいと命じているのです。

筆者は、死刑に反対である。理由は、上記の通りである。ヘーゲル(1770~1831)の主張とは、「法とは個人と国家との整合的な理性である」という結論を導出できるものだ。法に、いずれも、もう片方に先行するところはないという。あえて全く対立するフーコー(1926~1984)の「理性は歴史の過程の産物である」をここで援用すると、死刑こそ最も整合的な理性になりかねない。そこはヘーゲルとフーコーが全く対立しているからこそ、そのようなエラーを弾き出してしまうのだろう。では、ヘーゲルの言う理性とは、プラトンのイデア論のように普遍的なのか、デューイ(1859~1952)の道具主義的プラグマティズムのように個別に具体的なのか、という悩みに直面する。まずヘーゲルの言う理性とは、社会制度なのであり、そしてプラトンの言う意味の「普遍」を継承する考え方だった。国家の普遍的意思を国民が洞察して一体となる、この整合性が国家の理性と国民の自由だった。つまり、法である。ここで、ヘーゲル自身にも良い法律と悪い法律とがあるという感覚があったように、死刑に賛成する者のほうに傾聴する日本は、ヘーゲルの意味で果たして理性的な良い法律であるとしているのだろうか。まず、国家の普遍的意思として「許さない」があって、それを国民が洞察して一体となっているのかということである。

ヘーゲルの理性とは、普遍的というよりは不動点的だと筆者は思う。もちろんヘーゲル自身が「普遍」を見出したのであれば、それを追従するのも全く悪くないものではある。ただ国家の普遍的意思のほうが普遍的に理性であるとは全く限らない現実で、ヘーゲルの指示しているものは啓蒙専制君主の擁護論ではないのかと思ってしまったりもした。

科学と善人

デカルト(1596~1650)は、演繹法、「絶対に確実な真理」から出発して理性による推論を重ねる科学の方法論を打ち立てる際、同時に帰納法の限界を指摘した。帰納法では常に反証があると言う。この二つの功績についてデカルトが前段階的に唱えたことが、「良識はこの世で最も公平に分配されたものである。」という言葉であり、真と偽とを区別する判断力や理性は、人びとが生まれつき具えている能力だと言う。うまく使えるかどうかだと言う。筆者はこの前段階的な述懐を、方法的懐疑、「疑え」、の大人物であるデカルトに敬意を表しながら「演繹法をもってして間違えることを予め擁護した。」と言ってしまいたい。デカルトの功績自体が循環論法であることは、デカルトの功績をさらに理性的に判断する「体系」の出現を待つべきだろうか、しかしデカルト自身が自分宛にそのような関わり方を辞めなかったと筆者は思う。

理論経済学の「モデル」という方法論は帰納法で導かれる問題意識を、演繹法で出迎えるという方法論である。たとえば「猫がネズミを追いかける」、その姿を三回も見たことがあるから、「正しい」という問題意識を持ったとして、

「肉食獣はネズミを追いかける」

「猫は肉食獣である」

「猫はネズミを追いかける」

と、演繹法で出迎えることができる。ここで出迎えた演繹的推論の部分を犬や虎にあてはめて予測に役立てることができる。

国によって政治や経済のシステムが異なっても、経済学の有用性がドメスティックなものとは限らないことに、帰納法の段階で国際的である必要は必ずしもない。たとえばケインズ(1883~1946)の有効需要の原理など、アメリカのニューケインジアンに受け継がれている。

ただ、デカルトの功績を、帰納法の「限界」と呼び合って、「否定」とは断じて言わないことは、彼の生きざまに一抹の誤解を生む。彼は、「二つの時計が同じ時刻を示しているのは『同じ歯車で合体しているからだ』と答えるだろう」という比喩に例えられるほど、もの言い草がはっきりしている人物だったからだ。

y が xの一次関数であれば、x = x1+ x2+ … +xn と分解して、各要素が(たとえばx1の値が判明するなどして)明らかになるにつれて、そのぶん y の値を知ることに近づいている。しかし、y が x の二次関数であれば、 x = x1+ x2+ … +xn と分解した段階で、

y = x1x1 +x1x2 + … +x1xn

+x2x1 +x2x2 + … +x2xn

+xnx1 +xnx2 + … xnxn

調べる必要のある項が増え、もしも、たとえば x1 だけ分からなかったら、結局 n個の項が不明で残存する。デカルトの方法論は非線形な客体に対しては複雑怪奇を堂々巡りしてしまうかもしれない。

オセロゲームの道具をつかって、石並べの遊びをする。縦横は異なる色(白か黒)で、斜めは同じ色(白か黒)で並べる遊びをすると、盤面の完成図は二通りになる。一人の人物にこの遊びをしてもらったときに、左上隅が「白」になる確率は全く予測ができないだろう。この予測困難さが、「変数を全部知らないからだ」とするものなのか、「変数を全部知っていたとしても予測困難だ」とするものなのかは、判断しきれないだろう。前者は、クローン人間やジグソーパズルのような意味合いの難問に「過ぎない」とする考え方であり、つまりデカルトの思想である。

デカルトは、「神」が存在して、その神の誠実さが、人間の明晰で判明な認識を保護していると考えた。神を見たことがない人でも、神がいると思っているのは、本当に神が存在して、そういう考えを持つことができると言う。

紀元前800年頃から紀元前500年頃にインドで流行した「ウパニシャッド」はバラモン教の経典であり、「梵我一如」の一元論であった。宇宙の根源である「梵」と人間の根源である「我」が同一同体であると言う。バラモン教の「輪廻」、「業」、「解脱」は釈尊も参考にしたものである。バラモン教は現代でも知識階級の間で哲理として生きている。ヒンズー教は民衆主教であり、バラモン教に原始的な通俗信仰が加わったものである。前500年頃にバラモン教の教義と現実の違いに目を向けた六師外道が精神(霊魂)と物質(肉体)との二元論を唱える。そのうちジャイナ教は禁欲主義の信仰である。釈尊は、バラモン教と六師外道の両方を参考にし「縁起」の概念を打ち立てた。縁起(因と縁によってすべてのものは生じている)という思想は、ナーガ・ルージュナの「空」、「無自性」によって明確に無元論となる

ナーガ・ルージュナの教えとして、万物に仏性がある。たとえば花は万物に含まれるから仏性がある。仏性とは「仏の本性」と通俗的に説かれる。ただし無自性である物質の花は、実体として仏になり得るのではなく、現象界、現世である「色」において、仏、救済仏の仮の姿であり得る。現象としてである。その縁によって、あり得るためには、ヴァスバンドゥの教えによれば「心(識 しき)」の「アラヤー識」を浄化すべしと言うことだ。

アラヤー識を浄化すべしとは大乗仏教(民衆を救済する仏教)の教えであり、日本の浄土真宗では、悪しき故に浄化できないことの「自覚」をもって阿弥陀仏の慈悲、他力の本願力によって救済されると説かれる。これを悪人正機と言う。

自覚には一次の自覚と高次の自覚とがあり、悪いことを悪いことだと自覚することが前者であり、そのようにしていても、いつまでも同じことの繰り返しだと自覚することが高次の自覚である。浄土真宗として「自覚」とは後者がより近い意味であるが、あくまで近い意味である。

悪人:悪いことだと知っていながら、悪いことをする。

凡夫:悪いことだと知っていたら、悪いことをしない。

善人:悪いことをせず、悪いことだと知っている。

悪人→凡夫が一次の自覚であり、善人→悪人が高次の自覚である。善人だと思っている者ですら往生するのだから、悪人なおもって往くとは、浄化に勤めることは前提として、しかしその行によらない救済である必要がある。行によりけりでは、どれだけの行が必要かとなり、救われない者が規定されてしまう。つまり一切衆生救済に反してしまう。

キャプテンパティシエ

夏の甲子園。
準々決勝で散った花巻巻東(はなまきまきひがし)高校の主将・持田権蔵(もちだごんぞう)。
プロ注目の高校生スラッガーだ。
チームメートが悔し泣きする中、父親ゆずりの強面の地顔でひときわ号泣していた。

「優勝しなきゃ、優勝しなきゃ意味ねぇんだ。俺たちの今までは意味ねぇんだ。本当に頑張ったから悔しいなんてサッカー部みたいなこと言わないでください。本当に頑張るなんて当たり前です。本当に頑張っても優勝しなきゃ意味ねぇんだ。さっきまで途中だった。うーん、どうしてだぁ。」

試合後のインタビューでも報道陣にそう答えた。

そんな持田権蔵はお菓子作りが趣味だ。
父親ゆずりの強面の地顔からは想像もつかないプリティなパフェをプロ顔負けに作って見せる。
秋葉原のメイドカフェのような台詞回しで部員に配るのが恒例だった。

はーい♡
皆さんお待ちかね!
クマさんが超絶プリティなイチゴプリンパフェ♪
人数分あるから食べちゃって欲しいな!

この日の夕方も宿舎でイチゴプリンパフェを作って配った。
悔し泣きから立ち直った部員たちをさらに励ましたのだ。

夜。
エースピッチャーの須藤(すどう)が持田に言った。どうしても言いたかった。
「はじめてお前のチョコレートパフェを食べてからずっと言いたかったんだけど、プロ注目のスラッガーの趣味がお菓子作りで秋葉原のメイドカフェを真似た台詞回しまであったら、ギャップ萌えで唯一無二の存在だとか狙ってやってるなら、流石にちょっとキモめ。」

持田は須藤に言った。
「それを言ったやつには絶対に教えているんだ。どうして俺がパフェを作るのか。」



いまから20年前。
持田権蔵の父親・持田蔵之介(くらのすけ)は、当時37歳、持病の精神疾患の悪化で入院した。
仕事はその前の年にクビになったきり。近所の建物に悪戯書きをしたり、公園の枯草に火をつけて遊んだり、それを警察署に通報しながら警察官に暴言を吐いたりした。
終いには家に警察官が押し入った。蔵之介は保護入院になった。

「社会は俺を理解してくれない。」

入院を理由に精神障碍者手帳が3級から2級に繰り上げられた蔵之介は、退院後に移った病院でデイケアに通いはじめた。

デイケアスタッフの前原(まえはら)は運動神経の悪くない蔵之介をフットサルに誘った。
「蔵之介さんの担当スタッフの前原です。どうでしょう、是非フットサルをやってみませんか。面白いですよ。」

蔵之介の参加する曜日のデイケアは、昼休憩をはさんで、午後はフットサルかお菓子作りのどちらかに参加して、社会復帰を意識しながら精神病や障害のリハビリをする。
蔵之介は前原の勧め通りに真面目にフットサルをした。
最初こそ真面目に参加した。
しかし二カ月が経ち、フットサルが目に見えて上達してきたタイミングで、暴言を吐いてしまった。

「上達なんて馬鹿バカしいことなんでしなくちゃいけないんだ。」

前原は聴くだけ聞いて、「よく打ち明けてくださいました。」と言うと、

「じゃあお菓子作りのほうに参加してみましょう。」

と言って、お菓子作りを勧めた。
蔵之介は、最初は真面目に参加していたが、やはり二カ月ほどすると暴言を吐いた。

「上達するのが嫌なんだ。馬鹿バカしい。仕事なんてできない奴の方が偉いのに、なんのために働くんだ。ふざけろ。」

前原は聴くだけ聞いて、「よく打ち明けてくださいました。」と言うと、

「顔色がどんどん良くなってきているなと思っていましたけれど、そんな風に悩んでいたのですね。気がつかないですみません。コンディションのよい日だけでも良いのでデイケアには来てください。フットサルでも、お菓子作りでも、よいので、好きな方に参加しましょう。自分の気持ち優先で大丈夫です。」

と言った。蔵之介は、聞いてくれた前原にお礼を言うと、その日は帰った。
そして自宅で思った。
「もう37歳なんだ。中学生がやるようなことをして喜んでいていいはずないんだ。」

蔵之介は、精神障碍者男性と理解者女性の婚活パーティに応募した。
なんとなく、自分を理解してくれるパートナーの女性がいればすべてが解決する気がしたからだ。
デイケアでも女性と話す機会はあったし、上手くやればいけるだろうと思った。強面だが不細工ではないし、いい結果になるだろうと思った。

何回か同じような街コンに参加し、蔵之介は、後に妻となる女性・智子(ともこ)と出会い、順調に交際し、結婚した。

結婚して一年経ち、無事社会復帰に至った蔵之介に智子は言った。
「ヤクザみたいな人かと思ったけれど、趣味の欄に『お菓子作りができる』って書いてあったから、大丈夫だって思ったのよ。」



すべてを語り終えた持田権蔵は、須藤に言った。
「親父と同じ顔で生まれた以上、解だから。」

須藤は言った。
「野球は自分で選んだんだ。それがよかったです。」
(おしまい)

ケツゲ王子

小学三年生の佳代子は、担任教師から酷い嫌がらせを受けてしまった。
大学を出たての、まだ若い教諭だから仕方がないのだろうか。
担任教師は、佳代子の目の前で、自分の、ジャージ姿の下半身に手を入れると下着の中からケツの毛をむしり取って、佳代子に見せた。

「かよちゃん、これが先生のケツゲ!」

担任教師は、どちらかと言うと暗い性格の佳代子を笑わせようと思ったのだった。
引きちぎったケツ毛を手のひらで差し出して、見せた。

佳代子はショックを受けてしまい、そのことを、夕飯のときに両親に言った。

「お母さん、今日担任の先生がケツ毛をむしり取って私に見せてきたの。」

「担任の先生ってすごくハンサムよね?・・・なんでかしら!」

すると奥の部屋で野球中継を見ていた伯父が食卓の居間にやってきた。

「かよちゃんは、そういう星の下に生まれた女の子なんだな!ほらっ!」

なんと、伯父も、ケツ毛をむしり取って佳代子に見せた。
引きちぎったケツ毛を手のひらで差し出して、見せた。

「かよちゃんは、イイ男がケツ毛をむしり取って差し出して見せる、そういう女の子に生まれたんだよ!」

伯父はそう言った。

「三人目が王子様だ。次にケツ毛をむしった男が、かよちゃんのための王子様だからね!」

伯父は、にかっと笑った。

その後。
佳代子は高校に入ると野球部の女子マネージャーになった。
同じ学年の男子部員と仲良くなり、友達以上恋人未満。
そのかいあってか、男子部員はチームの四番打者に成長した。
名は、野村と言う。

夜。夏の地方予選で決勝まで進んだ日の夜、明日の決勝戦を前に野村は佳代子を呼び出した。
よく二人で歩いた神社の脇道は、夜になると少し顔色が違うのも気にならないくらい、二人の心は一つだった。

「かよちゃん、甲子園って本当に違うな、行けるのかなって思うと、バットの重さも感じないが、手の甲から骨が飛び出そうなくらい今から緊張してる。」

「・・・野村くん。」

「かよちゃん、本当に好きだ。かよちゃん・・・」

ブチッッ!!!ブチブチブチッッ・・・・!

野村は、ケツ毛をむしり取って佳代子に見せた。
引きちぎったケツ毛を手のひらで差し出して、見せた。

「ケツに毛が生えている理由がやっとわかった・・・。かよちゃんにむしり取ってあげるためだとしか思えない。・・・好きになった日からずっと、ケツ毛をむしるのを我慢してた。」

佳代子は照れくさそうに言ったのだった。
「なんでそんな我慢したんだろうな。野村君じゃなくて、他の人がやってくれちゃったら、どうしてくれたんだろうな。」

(おしまい)

空蝉

高校の野球部。夏休みのグラウンドに一年生の部員がいた。
名は、羽田五作(はたごさく)と言う。
身体は大きく、中学では四番だった。
何の気なしに高校も野球部に入ったが、まったく練習に興味がない。
そういえば中学時代も身体が大きいだけで熱心な選手ではなかった。

蝉の鳴き声がする。
ちっとも涼しくない日の水しぶきのように、どこか清らかな音色だ。

「羽田、またそがいなところで涼んどるんか?」

結衣(ゆい)は高校から羽田と知り合った、クラスメイトの女子だ。

「結衣ちゃん、アイス買うて来てよ。」
「ふざけるな、ばかにしんさんな」

羽田と結衣は、グラウンドの隅、体育館わきの室外トイレの前で、よく出くわす。

「ここなら球も飛んでこんね。」

結衣がにかっと笑って、三段ある階段に座り込む。

「ほうじゃのう。」

羽田が嬉しそうに言う。

しばしの沈黙。
結衣は、少しゾクっとしたので、言った。

「エースの青柳先輩はカッコええね、凛々しゅうて素敵じゃ。」

羽田は黙ったままだったが、またしばらく沈黙してから言った。

「結衣ちゃん、ギターを弾いたらええよ、ギターをいっぱい練習したら青柳先輩が振り返ってくれるよ。」

結衣は四月に軽音楽部に入部していた。全く練習しないが歌は好きだった。
結衣は苦笑いをして、黙って頷くと、文化部の部室小屋に消えて行った。

結衣には友達が数人いた。クラスでは少し浮いていたが輪には入れた。
羽田は身体が大きいが、自分にも他人にもどこか甘いので好かれていた。

軽音楽部の部室で、扇風機が空回りする音に、幾ばくかギターの音が混ざりあうのをいいことに、結衣はつぶやいた。
「ひとりもの同士は嫌じゃ、さびしいけぇこれあげるはごめんだ。」
結衣は羽田が好きだった。

「なにをしとりゃあ羽田がどがぁでもよう思える。」

羽田はと言うと、バレー部にお気に入りがいた。
お気に入りだと言っても、声をかけもしない。
ただ彼女のスパイクもブロックも、たくさん練習した選手のものであることはよくわかっていた。
勤勉な子だと思って好きだった。
サボリ魔の自分とは不釣り合いだとわきまえていた。

軽音楽部の部室で、結衣はたくさんの音の中で、自分のクラシックギターを少し奏でてみた。

「何かが上達するやつなんて大嫌いじゃ。練習するやつは練習しても上達せんやつを馬鹿にしとる。羽田はでかいだけで威張りもせん。うちゃアイスじゃない。」

夏休みのある日、相変わらずサボっている羽田は、先輩に呼ばれた。
主将のサード小川(おがわ)だった。
小川はサボり魔の羽田のこともよく把握していた。
小川は言った。
「打撃練習をやる。やってみんか。羽田は打者が向いとる。走るやつ、打つやつ、守るやつ、全員揃うてチームじゃ。守るやつはどこを守るかまで決める。守るやつらでレギュラーが決まる。でも守るやつらだけがチームじゃないけぇな。楽しいでぇ。」

羽田は、喜んだ。
喜んで、打撃練習に加わった。
久しぶりに、腰を回転させて、腰の体重にボールを乗せるように打った。
ボールが軽く飛んでいくと、羽田は自然と笑みがこぼれた。

しばらくして休憩になると、羽田は、珍しく休憩時間を、部員の輪の中で過ごした。

エース青柳の前にも関わらず、堂々とする羽田は、勢い余って、言った。
「うちのチームは全国大会なんて行けっこんけぇ、練習もきつうない、楽しい。」

この言葉には一同が動揺した。羽田の人となりは知っていたから、危ういとまでは思わなかった。
大半の者がこう思った。
久しぶりに混ざって嬉しいのだろう。次の守備練習にも付き合わせれば、そんなことは言えなくなるだろう。
しかし青柳は、すくっと立ち上がると、険しい口調で言った。

「羽田、ポジションはどこじゃ?」
「ファーストでがんす。」

羽田は、青柳の剣幕に負けず、大してうろたえることもなく答えた。

「その前はどこじゃ?」
「ピッチャーでがんす。」

周りの者は、険しい口調の青柳に、そうとも思わず平気な羽田へ、ここで初めて、訝しげな顔をした。

「一緒にブルペンに来い。糸田(いとだ)、倉持(くらもち)、捕手をやれ。」
青柳は、全く練習しない羽田をブルペンに連れて行こうと言う。
ブルペンとは、ピッチャーの投球練習場であり、およそ羽田のようなサボり魔が上がり込んでスパイクの跡を残していいものではない。
正捕手の糸田と控えの倉持の二人が呼ばれるということは、青柳、羽田、糸田、倉持で投球練習をするということなのだろう。

なぜ。

その場で疑問が沸き上がるより、しかし主将の小川が早かった。
「休憩は終わりだ。実戦守備をする。ピッチャーは醍醐(だいご)がやれ。捕手はわしがやるけぇ。」

それを聴いた一同が声を合わせて「はい!」と返事をすると、休憩は終了した。

ブルペンで青柳は羽田に言った。
「わしが投げたら投げろ。もたもたしんさんな。」

青柳が一球投げるたびに羽田も一球投げた。
羽田は、青柳の隣でふざけたことはできないと思ったものだから、中学の途中までやっていたように懸命に投げたのだ。
しかし20球で青柳の真似などできなくなった。
青柳は、思ったよりずっと早くガタが来た羽田に、苛立ちを隠せなかった。
100球投げたあたりで、「どこが疲れてきた?」と聞いてやろうと思ったものだから、このまま無言でくたばるまで投げさせようと、頭を切り替えた。

しかし羽田には異様な根性があった。ハエが止まりそうな緩い球を、投球フォームこそ無礼のないようにと、80球まで投げた。ヘトヘトの羽田が81球目を投げる前に、先に青柳が82球目を投げた。
その後も青柳が一人で投げ続けた。83球目、84球目、85球目。
羽田と組んだ捕手の倉持は、立ち上がらず、「へい!へいへい!」とキャッチャーミットを構えるのをやめなかった。

青柳は100球を投げ終えると、投げるのを中断した。青柳は無言で、疲れ果てた羽田を見ていた。
捕手の倉持が、仕方なく、羽田のもとに駆け寄ると、言った。

「どしたん?」

「ああ、すまん、倉持さん、疲れてしもうた。」

すっかり、少年のように弱弱しい羽田に、倉持は青柳の顔を見て、言葉を促した。
青柳は言った。
「これくらい練習しとるのじゃ。あがいな発言を平気じゃるようではつまらん大人になる。同じ高校の同じ部活の先輩として、身内を守ったつもりじゃ。」

すると羽田は言った。
「わかる。ピッチャーをやらしてくれるわけじゃないこたぁわかる。」

倉持は、察して言った。
「毎日走れ。走るんならできるじゃろう。野球がさえんくせに野球部におるなぁなんでじゃなんてわし達はゆわん。身内にゆわんけぇなそがいなこたぁ。」

羽田は、この日先輩達に諭されてから、本当にひたすら走っていた。
夏休みも終わるころ、羽田はようやくお気に入りの子と話しをすることができた。
バレー部の清水(しみず)は、羽田とクラスは違うが、学年が同じだ。
体育館から出てきた女子たちの群れと、偶然、ばったり遭遇した羽田は、そのまま、その中にいる清水をボケっと見て突っ立っていた。
他の女子より頭一つ背が高い清水が、同じバレー部の部員の群れをかきわけて、真っすぐ話しかけてきた。

「いつも見よるな。なにか用事でもあるのか。」

羽田は、全く気が付いていないが、いつも母親を見るような目で見てしまっていた。
すぐに視線を切っていたつもりだったが、いつも、実は2秒くらい目と目が合っていた。
この日はいつもの倍くらい見つめてしまった。
清水は、女子達の間ではリーダーのような役目になることが多かったものだから、勇んで、どういうつもりなんだと詰め寄った。

振り切られた女子達は、別段普通だった。
清水のことだから、そういう手合いの男子は、まあ、いるだろうと思った様子だ。

「失礼のないようにとのぼせあがっとりまして。」

羽田は、少し考えてからそう言った。
清水は、顔に出ていないと思いたかったが、少し赤くなってしまった。
中学の途中までピッチャーだった羽田は、自分自身何度か経験のある、打者の苦い快音をここで思い出した。
清水が強い口調で言った。

「野球部は死ぬるほど真面目な人たちじゃけぇ平気でがんす。」

プイっと首だけ捻られてしまい、すぐに背中を向けられてしまった。

羽田は、あの日先輩達に諭されてから、ひたすら走っていた。
ただ、この一幕は小川に叱られた。
「他の部活と接触があるようなら、信用して走り込みをやらせられん。」

そもそもサボり魔の羽田だったが、小川は、ここぞとばかりに忠告して言った。
小川は部室小屋から持ってきた重いマスコットバットを渡すと、羽田に、その場で100回素振りをやらせた。
最後に小川は言った。
「持って走れ。走り込みの途中で足が止まったら、マスコットバットを素振りしていろ。野球部が誤解されんようにな。」

羽田は、夏休みの残りの期間、本当に言われたとおりに、やっていた。
ただ、なんの念力だろうか、グラウンドの隅、体育館わきの室外トイレの前で、頻繁に小休止をしては、マスコットバットを素振りしていた。
サボり魔だったころの憩いの場が、集中できるからだと言えば、その通りだ。
しかし、素振りをしていると必ずやってくる結衣の言い草が心地よかった。
「試合に出るのを諦めるまで見届けちゃるけぇのぉ。」

結衣は毎回テープレコーダーのようにそう言った。
羽田も、毎回テープレコーダーのように返事をした。
「さえん大人になりとうないだけじゃ。」

毎回二人の会話はそれきりだったが、ある日、結衣は意を決して言った。
「羽田、われは諭したらよいのか。」

羽田は、素振りをしていたから、自然と声を張り上げて、振り向かずに言った。
「なんか?」

つっけんどんにされた気がした結衣は、ムッとしてしまい、声を張り上げて言い返した。
「うちが来る思うて毎日ここで素振りをするんなら…」

カツーン

結衣が言い終わるより先に、羽田が、素振りのマスコットバットを、ヘッドを下にして軽く地面に突き立てた。
誤って落としたわけではない。
他の部活の声が遠くに聴こえては、こだましていくグラウンドの隅で、強い太陽に照らされる二人。
蝉の鳴く静けさの中で、羽田は、口を噤んだままの結衣に言った。

「軟派者じゃない。こりゃあ軟派者じゃないのぉ。」

「じゃあうちも違う。よろしゅう励むように。」

結衣は思った。
思ったよりずっと見どころのある羽田が、ただ真っ当な大人になりたいだけの姿を見て、生まれて初めて感じる勇み足のない感情が結衣の自分自身の中でコツリと居場所をつくって陣取ったことが、とても心強いと思った。

9月になって、二学期が始まった。
羽田と結衣は、以前よりよく話した。
自然とそうなるのを憚らずに、何より手と手が近かった、本人たちは気がついていないが、二人の手と手が空間の近くにある。

ある日、クラスメイトの河野(かわの)という女子が、昼休みに、結衣に言った。
「夏休みから、付き合い始めたんよね?」

結衣は、驚いた。
驚く結衣に向かって、河野はさらにまくし立てた。

「周りも気ぃ遣うとるみたいだけど、気にせんでええよ。結衣が羽田の近うをうろうろするのみんな知っとったし、なんじゃろう羽田も男前じゃのぉ。」

河野に向かって、結衣は言った。
「まだまだじゃ。」

河野は、そんな反応も範疇にあったのか、全く驚きもせずに、さらに返した。
「あれま、そがいな感じか。結衣のこと振り向いたのか思うた。われらよう知り合うてからという柄でもないじゃろう。なんじゃろいろきけるとおもって親切にしとったんじゃが。」

すると河野の友達の後藤(ごとう)が近寄ってきて、言った。
「そうよね、羽田のやついつも一人で夜遅う帰宅しとるもんね。野球部の関原(せきはら)が言いよったんじゃけど、羽田は野球部にまだ友達おらんけぇ一人で帰宅しとるんじゃ。先輩に叱られて練習はするようになって柄にものう新学期は夜遅う帰っとるんだってさ。」

結衣は河野と後藤に言った。
「うちの身に何が起きてもわれら面白いんじゃろうな。」

後藤は言った。
「羽田はどつきゃあ転ぶ思う。」

河野は言った。
「羽田は面白いけぇ見よるに限る。みんなそう思うて期待しとる。」

新学期に入ってから、羽田は、野球部の練習にも正しく顔を出すようになっていた。
夕暮れから夜遅くまで、自主練で素振りをしてから帰宅していた。
羽田は、主将の小川の「お前は打者だ。」という言葉と、エース青柳の「身内」という言葉に胸を打たれていた。
味噌っかすのような扱いでも、チームの一員だと信じられることが、ネジを巻きなおしたように頑なになっていたのだ。

夕暮れに、同じ一年の関原が、羽田に言った。
「罵声も浴びせられんくらい出鱈目なやつじゃったけど、一年の輪にそろそろ入れちゃろうか思う。来週あたり適当に飯屋にでも行こう。一食くらい余分に入るじゃろうその図体なら。」

羽田は、関原に言った。
「野球部の練習に、四月についていけんようなって以来、関原や他の部員が少しいびせかった。不甲斐ないものだが、また頑張りたい。」

関原は言った。
「四月は皆ライバルじゃった。ピリピリ、カリカリしとったな。誰がどのポジションやるか、実力に甲乙つけあって、けん制し合うて。しかしもうそんなんも終わった。わしが一年生のまとめ役じゃけぇ、不甲斐のうても仲間は仲間じゃ。」

羽田は、ここで、よっぽど関原には打ち明けたかったが、言わなかった。
野球にも色々あるもので、エースピッチャーだけが脚光浴びて、一番カッコいいとか、そういう競技でも全くないのだと、最近わかったと、打ち明けたかった。言わなかったのは、それではまるで自分が子どものようだと思ったからだ。

自主練は日が沈むまで、羽田は素振りをした。
素振りをしながら思ったのは、結衣のことだった。
結衣は自分より背が低い。
顎に米粒がついたときの目線の先に、それくらいの視点で、最近やけに結衣が、近くにいる。
男らしくなっていったのを自分でも感じていた。

カラーン

羽田は、素振りのマスコットバットを落としてしまった。
右手の握力が急になくなった、やりすぎたか。

「カッコ悪いのぉ。一人だけ何考えとるんじゃろう。関原と食べる飯のことを考えたほうがなんぼかマシじゃのぉ。」

羽田は自主練を終え、ユニフォームを着替えて、夏服の学生服姿で帰った。
羽田は、体育館わきのトイレの横を、通った。

羽田は人影に気づいた。
「なんじゃろうな、亡霊でもおるみたいに。いま帰るところじゃ。」

結衣が、待ち伏せしていた。
昼休みに河野と後藤に言われたのだった。
携帯電話の連絡先くらい交換しないとダメだと言われて真に受けていた。

結衣は、下を向いたまま、言った。
そんなことより結衣は、羽田について知りたいことがあったのだった。
「われは上達しとうて練習する側の人間なのか?」

「チームの一員になった、なれた。それなら練習も上達もしていかにゃあつまらん。」

「上達するような人間は嫌いじゃ。」

「ギター弾いたらええじゃないか。上手になったらみんなが聴きに来て気持ちええのじゃないのか?」

「なんじゃ、なんで変わってしもうたんじゃ、気持ち悪いわ。」

「・・・じゃあわしが聴いちゃるけぇ。」

羽田は、ポロっと言った。言った後でハッとした。
結衣は、ついカッとなって、持っていた携帯電話を振り上げた。
「なんでそんなことを平気で言うのか」と思った。思ったが言えず。
そのまま羽田の顔に携帯電話を投げつけてやろうかと思った。
しかし肝心の羽田の顔が全く動じていなかった。

「・・・なんでわしゃこがいな偉うなったんじゃろうな。」

そう言うと、羽田は、自分の左手がグンと伸びて、2,3メートルも伸びて、結衣の振り上げた右手をギュッと掴んだ気がしたので、さらに言った。

「結衣ちゃん、わしゃガールフレンドがおったことない。」

羽田は、こんなことを言う自分を「情けない」とは思わなかったし、いままで通りである自分に安堵さえあった。
ダメならダメで、伝わってほしいと思ったものが伝わるなら、それはそれで偽りない自分であると、後から後から、ジワリジワリと自分を肯定した。
結衣は、羽田が何も変わっていない「でぐのぼう」であること以上に、羽田が今二人でいる場所を大切にしていることを、理解してあげることができた。
羽田こそ、結衣が見てくれていると思って頑張ったのだから。
結衣にも見えたのだ、運よく校庭のライトに照らされた羽田のボロボロの右手が、言葉の情けなさとは裏腹のものが、しっかりと目で見抜かれたのだった。

「真面目なやつのほうがええにきまっとるけぇ、今日は一緒に歩いて帰ろう、ずっとこがいな日がくると願うとった、ギターも本当は聴いてほしい、うもうなれるまで聴いてくれるなら、嬉しい。」

結衣は、顔がボタボタとただれ落ちてはいないかと、思った。
顔じゅうの熱が、心臓を焼き尽くすように、のどに降りてきたのを飲み込むように、言葉を詰まらせて、羽田とは逆方向に走った。
しかし、すぐに引き返して羽田の方に走り寄った。

羽田の目の前でうなだれて、顔を見ずに言った。
「いやらしいこたぁ期待しんさんなや。」

羽田は、向かい合った結衣の左肩に、右手を添えて、「承知した」と言った。
結衣は、その時の羽田の右手の感触を、いつまでも覚えていることになる。

(おしまい)

くやしがれ

学習塾でアルバイトしていたときに、中3生徒に「くやしがれ」と言ったことがある。学校の定期テスト(数学)が30点だったため。お前はそこからだと、思ったことを包み隠さず言ってみた。生徒は悩んでしまった。ただ何か申し訳なさそうに苦笑いしてみせることを辞めた。くやしいという気持ちがないようではダメだ。筆者なんて、最低限だとしか思えない。高校野球で、「あ~、ダメでしたエヘヘ~」なんていう選手は県予選でも一人としていなかった。くやしがるのは上達の土台だとしか思えない。

ただ当たり前であるが、数学は野球ではないし、教室は野球部ではない。勉強とはつまり義務である。授業が画一的に、やりたくもないものが全員一律に、施されるなかで、生徒の人間的な個性の多様性を見守るという意味では、結論勉強も出来ないのは受け入れるべき個性の一つではないのかと思う。つまり、勉強ができない、イコール、否定、という考え方の犠牲者を生むべきではないと思いとどまるものだ。数学で30点でも平気な生徒は、本気でそんな自分を受け入れているなら、他人にも優しいだろうと。実際そういう生徒だったと思うし、何人も見てきた。

しかし学校がそのあたり明確に答えがだせないままでは、学習塾という存在は非常に、厄介なものになってくるだろう。学習塾は成績を伸ばしさえすればよい場所だ。学力に関心のない生徒の個性を学習塾は潰すし、学力を伸ばしたい生徒の信頼もさらっていくわけである。しかし数学は30点でいいが、30点でいいやはまずい。これが筆者の本音である。数学が30点だったひとの未来はバラエティに富んだものだが、何かにつけて「30%でいいや」と思えるひとは確実に痛い目に遭う。学習塾は非常に危険な仕事だと思う。学習塾もなにも勉強なんて一切できないヤンキーが、スーパーの野菜売り場で真面目に働いている姿を見たときは、本当にわからないものだなと思う。

政治学を馳せる-O’Donnell & Schmitter 1986-

オドンネルとシュミッターの民主化研究

オドンネルとシュミッターの民主化研究とは、1986年共著 “Transitions from authoritarian rule: Comparative perspectives”(O’Donnell & Schmitter 1986)であれば、権威主義体制の崩壊過程に関する彼ら一連の研究である。権威主義体制とは、被治者(個人や社会組織)が、指導者(一名から少数)に服従するに指導者の持つ「権威(=他人を従わせる威力)」に服従しているとして、その政治体制のことである。権威主義体制の崩壊過程とは、一つの政治体制(権威主義体制)と他の政治体制への移行過程である。特にオドンネルとシュミッターの民主化研究は「自由化」と「民主化」を明確に区別したうえで独裁(両者の度合いが低い)から政治的民主主義(両者の度合いが高い)までの中間的形態として過渡期的形態を定義してみせた。1980年代当時世界中が注目していた「どのようにして民主化が起こるのか」というテーマに取り組んだという意味合いで独創的な研究である。また1980年代頃の比較政治学研究の流行は70年代民主化を経験した南ヨーロッパ(ポルトガル、ギリシャ、スペイン)に関心を寄せるものであったが、オドンネルとシュミッターの民主化研究はそうしたスペシフィックなもの(c.f.事例研究)というよりはむしろユニバーサルなもの(c.f.理論研究)を目指したという意味合いでも先駆的取り組みであった。その一方で国際関係論の文脈で語られる冷戦崩壊後(1989年以降)東欧民主化の事例を説明するに、オドンネルとシュミッターの民主化研究(国内政治的要因(c.f.タカ派とハト派))では説明力が弱く課題となった。【参考】

偏差値もボーダーラインもない入試

統計なき

編入学試験は、どんな問題が解ければ合格なのか?・・・これがわからないです。たとえば高校入試の数学で「三角形の相似の関係を見出しながら線分比を答える平行四辺形の描かれた平面図形の問題」の正解率が5割を超えることはありません。もしも正解率が2割であれば、偏差値50(上位50%)を目指すにあたって解かなくてもよい問題、偏差値60(上位17%)を目指すにあたって正解したい問題、偏差値70(上位2%)を目指すにあたって不正解が許されない問題です。しかしこうした分析は「正解率」と「偏差値」が必須です。しかし編入学試験にはなくできません。どんな問題を解ければ合格するのか正確なことは誰にもわからないのです。