月別アーカイブ: 2023年8月

最近の低層労働者はインターネットで自虐を言う

ネットに書けば殺された00年代

我が家にインターネットがやってきたのは西暦2000年です。後に大学院博士課程学生になる中三の息子(筆者のこと)がいる家にインターネットがやってきました。要はそれくらいの資力のある家計にインターネットが普及したのが大体2000年で、そのあとインターネットの普及率は下がることがなく上昇を続けて、今では誰しもが携帯端末でインターネットをしているという認識であっているはずです。つまり低層に普及したんですね。00年代当時は、インターネットに過激なことを書くと、「なんすかあれ?」みたいにヤンチャな人が自宅まで悪戯しにくるのが、そっちが常識でした。「特定しますた!」とか言って、インターネットは「書くほうが悪い」という、いまとまったく逆の正義観があったんですね。NHKの特集で偉そうな若者が、「Twitterなんてやるやつは個人情報のプラカードを渋谷で掲げるくらい危険なことをしている」とかドヤ顔で言ってやがった。特に低層労働者の家計にインターネットが普及するのと、リーマンショックとが同時期に起きたせいで、00年代後半は、貧しい家の子が普通の家の子をインターネットで見つけては殺意を覚えた時代でした。刺し殺してやろうと思うんだろうな。だから「藤倉ってやつはいつか刺される」と思っている50歳代のオッサンとか、すっげーわかる、まだその時代を暮らしてんだろうなって。

国民総コメディアン社会

筆者はひそかに現代を「国民総コメディアン社会」と呼んでいます。発信する側になった人が増えに増えたんですよね。みんなやる側になった。良い時代だとしか思えない。正直、あの当時「狩る側」みたいだった奴全員生き埋めにしてからそういう社会をむかえたかったけど。でも今の世の中、彼らのような人種は生きにくいんじゃないかな。生まれつき、遺伝的に創造力が乏しいから藤倉みたいなやつぶっ殺したくなるわけだからさ。

星飛雄馬と左門豊作がLINE交換をしなさそうだということ

最近の甲子園球児は知り合い

スマートフォン時代の青少年である最近の甲子園球児は、やはりインターネットや携帯アプリで交流もあるんだろうな。中学時代からシニアやボーイズリーグで全国区だった選手も多いし、基本的に全国区の中学生は全国の高校で取り合いになりますからね。知り合いの輪は自然と出来上がるものでしょう。しかし2,30年前に比べると各段に球場で歯を見せるようになった。味方のプレーで嬉しそうにするだけでなく、相手のプレーに対してレスポンスするような笑いが増えたと思う。まるで御友達同士で野球を嗜んでいるような感覚である。念のためだが批判ではない。というか、これが批判にややもすると聞こえる人は相当な年配だと思う。この超情報化社会、そして少子化の時勢に楽しそうに野球なんかやっちゃっている青少年なんて、いまが一番楽しいくらいで丁度いいとしか思えないです(大丈夫ですよ)。

巨人の星で言うと星飛雄馬と左門豊作がLINE交換するようなものかな

でも星飛雄馬と左門豊作は、たとえスマートフォンユーザだったとしても二人でLINE交換とかしなさそうなんですよね。そう思った時に、「みんなで仲良くLINE交換して繋がろう」という社会の空気というか、ムードが出来上がっているのは見逃せない時代の変化だなと思います。もちろん星一徹が、携帯代の滞納でスマホを止められないか毎月心配するレベルの低所得者であることもあるんですが、それにしても星飛雄馬と左門豊作は性格からしてLINE交換しなさそうだなと言いたいんですね。そしてそういう性格の青少年に育つ土壌が無いし、もしも彼らのような青少年がいたら「絶滅したはずの恐竜」くらいに思われるんじゃないかな。

話が変わるがオタクに対してもかなり変わった

いまファミリーマートで対象商品を買うとウマ娘のクリアファイルが貰えるんですが、こういうのも時代の変化だなと思います。2,30年前は、ウマ娘などの女の子キャラクターがたくさん出てくるゲームで遊び倒している人がいたら「オタク」と言われて誰も相手にしなかったんですよね。クラスでもいじめられっ子のようにハブられます。それが10年くらい前から、たとえば高沢という名前の生徒がウマ娘の大ファンだったら、たとえば木村という名前の生徒が「いや高沢は馬主だから(笑)」と言いながら軽く輪に入れてあげるように時代が変化したんですよ。いまじゃ「いや高沢は馬主だから(笑)」みたいなフォローも要らなくなってきたみたいだなと思います。もちろんオタクという概念自体は存在して、ウマ娘のように流行っているものはOKみたいな認識があるんだろうな。

ε-δ論法をしらなくても合格できますよと神戸大学経済学部編入合格者が言う意味

ふざけてんじゃねぇ

関数の連続に関する問題は、大学以降全てε-δ論法を使って示します。関数の連続に関する問題は、国公立大学経済学部の編入学試験で頻出です。たとえば「関数f(x)が連続である⇔関数|f(x)|が連続である」を示せ、あるいは反例を挙げよ、と言う問題が過去に福島大学で出題されています。これをε-δ論法を使わずに何か答えのようなものを書いても不正解のはずです。しかしTwitterでは、神戸大学経済学部に合格しましたという人が「ε-δ論法を勉強しなくても合格できますよ。」と発言して広めているんですね。

俺も運転免許とったから今度教えてやるよ

合格した人の言う通りにすれば合格できる人は、かなり器用だと思いますね。ε-δ論法は知っておいた方がいいです。逆にε-δ論法を使って解こうとすれば、部分点が貰える可能性が高いです。数学の試験で正解(最終的な答えが整合的)でなければゼロ点になるのは医学部医学科くらいで、普通は数学の試験では部分点というものがあります。柔道の試合だって、攻めの姿勢があれば旗が上がります。それと同じです。ε-δ論法は正しい攻撃姿勢です。

ε-δ論法を知っていても最大10点しか取れない

しかし現実の編入学試験では、↑こっちの頭が無い受験生のほうがぶっちぎりに黄色信号ですね。純粋に勉強をしてきた受験生ほど強いですが、結局は点取りゲームを当日やるのだから、合格点を見繕うという感覚もかなり大切なんです。ε-δ論法は、わからない人には死ぬまでわからないものなので、諦めるのアリチュウノアリです。ただ勉強メニューの立案からして「試験はもうはじまっている」という受験生もかなり限界なひとだとは思います。しかしですよ、柔道の話をしましたけど、私の知り合いに180cm100kgの元柔道部がいて、中一の頃は特に抜きんでて大きかったから「練習の同級生が皆かけ逃げになっちゃって、つまらなかった。」と酒席で語ってくれたことがあります。どんな分野にも規格外の奴がいて、優秀な人のレッテルをさらっていくので、「そういう人種ではないから大変なんだぞ」という、要は現実がわかっているというのはいいことだと思います。

キャプテンパティシエ

夏の甲子園。
準々決勝で散った花巻巻東(はなまきまきひがし)高校の主将・持田権蔵(もちだごんぞう)。
プロ注目の高校生スラッガーだ。
チームメートが悔し泣きする中、父親ゆずりの強面の地顔でひときわ号泣していた。

「優勝しなきゃ、優勝しなきゃ意味ねぇんだ。俺たちの今までは意味ねぇんだ。本当に頑張ったから悔しいなんてサッカー部みたいなこと言わないでください。本当に頑張るなんて当たり前です。本当に頑張っても優勝しなきゃ意味ねぇんだ。さっきまで途中だった。うーん、どうしてだぁ。」

試合後のインタビューでも報道陣にそう答えた。

そんな持田権蔵はお菓子作りが趣味だ。
父親ゆずりの強面の地顔からは想像もつかないプリティなパフェをプロ顔負けに作って見せる。
秋葉原のメイドカフェのような台詞回しで部員に配るのが恒例だった。

はーい♡
皆さんお待ちかね!
クマさんが超絶プリティなイチゴプリンパフェ♪
人数分あるから食べちゃって欲しいな!

この日の夕方も宿舎でイチゴプリンパフェを作って配った。
悔し泣きから立ち直った部員たちをさらに励ましたのだ。

夜。
エースピッチャーの須藤(すどう)が持田に言った。どうしても言いたかった。
「はじめてお前のチョコレートパフェを食べてからずっと言いたかったんだけど、プロ注目のスラッガーの趣味がお菓子作りで秋葉原のメイドカフェを真似た台詞回しまであったら、ギャップ萌えで唯一無二の存在だとか狙ってやってるなら、流石にちょっとキモめ。」

持田は須藤に言った。
「それを言ったやつには絶対に教えているんだ。どうして俺がパフェを作るのか。」



いまから20年前。
持田権蔵の父親・持田蔵之介(くらのすけ)は、当時37歳、持病の精神疾患の悪化で入院した。
仕事はその前の年にクビになったきり。近所の建物に悪戯書きをしたり、公園の枯草に火をつけて遊んだり、それを警察署に通報しながら警察官に暴言を吐いたりした。
終いには家に警察官が押し入った。蔵之介は保護入院になった。

「社会は俺を理解してくれない。」

入院を理由に精神障碍者手帳が3級から2級に繰り上げられた蔵之介は、退院後に移った病院でデイケアに通いはじめた。

デイケアスタッフの前原(まえはら)は運動神経の悪くない蔵之介をフットサルに誘った。
「蔵之介さんの担当スタッフの前原です。どうでしょう、是非フットサルをやってみませんか。面白いですよ。」

蔵之介の参加する曜日のデイケアは、昼休憩をはさんで、午後はフットサルかお菓子作りのどちらかに参加して、社会復帰を意識しながら精神病や障害のリハビリをする。
蔵之介は前原の勧め通りに真面目にフットサルをした。
最初こそ真面目に参加した。
しかし二カ月が経ち、フットサルが目に見えて上達してきたタイミングで、暴言を吐いてしまった。

「上達なんて馬鹿バカしいことなんでしなくちゃいけないんだ。」

前原は聴くだけ聞いて、「よく打ち明けてくださいました。」と言うと、

「じゃあお菓子作りのほうに参加してみましょう。」

と言って、お菓子作りを勧めた。
蔵之介は、最初は真面目に参加していたが、やはり二カ月ほどすると暴言を吐いた。

「上達するのが嫌なんだ。馬鹿バカしい。仕事なんてできない奴の方が偉いのに、なんのために働くんだ。ふざけろ。」

前原は聴くだけ聞いて、「よく打ち明けてくださいました。」と言うと、

「顔色がどんどん良くなってきているなと思っていましたけれど、そんな風に悩んでいたのですね。気がつかないですみません。コンディションのよい日だけでも良いのでデイケアには来てください。フットサルでも、お菓子作りでも、よいので、好きな方に参加しましょう。自分の気持ち優先で大丈夫です。」

と言った。蔵之介は、聞いてくれた前原にお礼を言うと、その日は帰った。
そして自宅で思った。
「もう37歳なんだ。中学生がやるようなことをして喜んでいていいはずないんだ。」

蔵之介は、精神障碍者男性と理解者女性の婚活パーティに応募した。
なんとなく、自分を理解してくれるパートナーの女性がいればすべてが解決する気がしたからだ。
デイケアでも女性と話す機会はあったし、上手くやればいけるだろうと思った。強面だが不細工ではないし、いい結果になるだろうと思った。

何回か同じような街コンに参加し、蔵之介は、後に妻となる女性・智子(ともこ)と出会い、順調に交際し、結婚した。

結婚して一年経ち、無事社会復帰に至った蔵之介に智子は言った。
「ヤクザみたいな人かと思ったけれど、趣味の欄に『お菓子作りができる』って書いてあったから、大丈夫だって思ったのよ。」



すべてを語り終えた持田権蔵は、須藤に言った。
「親父と同じ顔で生まれた以上、解だから。」

須藤は言った。
「野球は自分で選んだんだ。それがよかったです。」
(おしまい)

京都大学に合格出来るのなら60万円くらい全人類が払う

馬鹿馬鹿しい

名古屋大学から京都大学に編入合格すれば、生涯賃金は6000万円アップも間違いないです。授業料60万円でそれが叶うとしたら半沢直樹も真っ青の100倍返しじゃないですか。埼玉大学からなら生涯賃金も2億円はアップするはずです。専門学校からなら5億円はアップすると思います。もちろん編入と言う汚い考え方から足を洗って、心を入れ替えて、銀行の頭取を目指した場合の話です。しかしですよ、それが授業料60万円のお支払いで叶うのであれば、日本中の専門学校生が編入予備校に押しかけちゃうと思いますね。何がいいたいかと言うと、「そうならないようにする金額として60万円は安すぎる」ということです。そうです、馬鹿が有難がってるだけで、編入予備校なんて行かなくていいんです。現物60万円はバカみたいに高額ですが、タラバガニが駅前で無料配布されているように誰も買わないんです(そっちです)。

図書館に行かない人が死ねばいい

編入予備校に献金した人を見る目が優しすぎるんですよ。「図書館に行きたくないです」と顔に書いてあるようなものです。軽蔑しましょう。筆者も熱中症に罹るのを辞さずに三日連続で市立図書館に自転車で行きましたけど、おかげさまで充実したお盆休みでした。そんな自分なりに「彼らと一緒にされたくない」というプライドを持つべきなんですよ。エアコンの利いた部屋から一歩も出ずに、ぶっちゃけYoutube視てる予備校生なんて、いまから落伍者を見る目で軽蔑できないと、社会に出た後で出世しません。

自信の無さを60万円で買ってみただけ

編入予備校に献金する人はとにかく自分に自信がなさすぎます。みんな背中を丸めて、道路のコンクリートを見つめながらトボトボ歩いて、「自分なんかが大学の勉強を独りでできるわけないんだ。」という暗い気持ちをカバンに入れて背負って歩いているんです。そんな彼らなりに苦心して合格するのは、偉いと言えばすごく偉いんですけど、誰もそんな徒労苦役を強いた覚えはありません。夏の暑さの中を爽やかに自転車をこいで市立図書館に通って、ジブリヒロインみたいに猫なんか追いかけちゃったりしてたほうが健康的だし、伸びしろもあると思いますよ。

オンライン編入学院の広告戦略がやはり数年前のトレンドのままであること

ちょうど三年前に「編入サークル」の屋号で華々しく開業した現オンライン編入学院ですが、広告戦略が古いなと気付いたひともいるのではないだろうか。筆者は、広告業界(広告代理店業界)における「最新の戦術」、その進化のスピードをひしひしと体感した。たとえ創業者が広告代理店の出身でも、広告代理店が直接経営しているわけではないのだなとつくづく思った。新着なのに、まるで古新聞のような違和感がある。いまの流行を模倣するに、そのための技術を出身の広告代理店とやらから持ち出していないから、できないのである。

世相は、未曽有のパンデミックたるコロナ禍の潮目が、いままさに引き潮である。コロナ禍で、高齢者をはじめとする大量のオフライン層が、オンラインを頼り始めたことを読み切って、まさに高齢者をターゲットにした「わかりやすさ」を売っていた。しかし、あの当時の大手広告代理店は、それこそ現オンライン編入学院がそうであるように、自分たちの手法を模倣した連中を野放しにし過ぎたんじゃないかなと正直思う。実際あの当時の消費者が、自分の直感に寄り添ってくれる広告を信頼したのに対して、最近の消費者は「聴きたがり」といった感じがある。コロナ禍を経て、猫も杓子もyoutubeを見るようになった影響もあるのだろう、「貴方は賢いので本当のことを言いますが」、そのような語り部が増えたなと思う。

最大手電通で過労死自殺の事件が起きてからもう7年が経つ。衝撃的な事件とセンセーショナルな報道で、インターネット上でも話題が話題を呼んだ。そのときの噂と一緒になって、業界の秘密のようなものまでささやかれていた。「広告は偏差値40がわかるように書け」というジャーゴンなど、筆者はよく覚えている。要するに数学のテストで30点台の者が「わかった!」となるように書かないと、広告としてダメだぞということだ。それはその通りだと思う。しかし、一緒になって損をしたくない人々が新しいパイになって、広告が早食い競争をしだしたのを感じる。