微分と偏微分の違いがわかると超有利
関数がわからないひとは、そもそも二つの量が伴って変化するという現象が理解できない。お風呂のお湯を入れっぱなしにすると溜まりますが、お湯を入れた時間と溜まった量は伴って変化します。
はい!アウトーーー!!!
たぶんいまついてこれなかったと思う。なんでそんな言い方をするんですかと思ったと思う。一言、「増える」って言えばいいじゃないですかと思ったと思いますが、数学(関数)というのはとどのつまりそのあたりの配慮が徹底的に欠落した学問領域なんですよ。お湯を入れた時間と溜まった量は伴って「増える」んじゃなくて「変化する」んだお!
これが怖いか?
おんなじだお!もはや日本語で書いてもらえないんだお。伴って変化する二つがあるといきなりこういう記号を読まされる。これは「 t がほんの少し増えたとき、f がその何倍増えるか」です。こちらの記号で書かれている場合は、tがほんの少し増えたとき、数式上明確になっているfの増分だけでなく、たとえばtが増えたせいでxもいくらか増えていて、xがいくらか増えたせいでfがいくらか増えるぶんも全部計上してあげないといけません。
これも「tがほんの少し増えたとき、fがその何倍増えるか」ですが、こちらはtがほんの少し増えたとき、数式上明確になっているfの増分だけで構いません。
近傍がわかると超有利
電車が駅に到着して出入口がプシャーッ!て開いたとします。するといままでホームにいた人たちが複数ある出入口のどこかに吸い込まれていくと思います。たとえば筆者が a1 という位置にいたとして、一番近い出入口が a だとしたら。一歩二歩、体を揺するように出入口に近づいて行って、たとえば、
a1 → a2 → a3 → a4 → a5 → a6 → a7 → a
のように位置が変化していくとします。7歩だったわけですね。これは筆者の位置である点列{ai}が aに収束したことを意味します。ちなみに右から近づいても、左から近づいても同じ出入口ならば同じ位置に収束します。
Nε(a)が定義された近傍。aは出入口。a-εはaに必ず吸い込まれる位置の左端、a+εは右端。
数学の「近傍」とは、「ある特定の点の近く」という意味ですが、もしも a の半径 ε 以内であれば必ず点列 {ai} が a に収束するということであれば、そういう意味合いで「近傍」を定義することができますし、その「近傍」にある任意の点は、あるaに収束する点列{ai} が存在して、そこに含まれると言えます。 現実には車内混雑していたりして、ドアの目の前でも諦める場合があるから、このような近傍は定義することは難しいかもしれないですね。
式が同時に成り立つときグラフでは交点だとわかると超有利
AさんとBさんは、ある同じ船について、川を上ってきて、ある場所で停留している姿を、まったく同じ時刻に見る体験を何度もしてきたという。
Aさん:船は0.4km地点からスタートして時速0.6キロメートルで川を上ったとしか思えない
Bさん:船は0km地点からスタートして時速1キロメールで川を上ったとしか思えない
毎回「1km地点」にあたる場所で停留しているのは間違いないのだろうなと思います。
曲線の概形がわかると超有利
君たちは中学三年生の頃から、「-2≦x≦4 のとき y の最大値はいくつか?」という問題に対して、x=-2 のときと、x=4 のとき、この二つだけ調べて比べても不正解になったよね。一次関数までだったらどっちか大きいほうだったよね。でも二次関数を習ったあたりから、急に苦手になったよね。
しかし君たちだって、2月の模試で偏差値52で、11月の模試で偏差値52だから、「上手く維持してこれたね。でもここから伸びる受験生は大勢いるよ。」と言われたら嫌だよね、夏休みにうんと頑張って9月の模試でA判定だったことを省略されたくないよね。
曲線には概形があるんだけど、概形がわかるというのは「絵的にイメージできました」というわけでは断じてなくて、つまり実際に描画しなくてよくて、早い話が「極値」がいくつあるのかわかればいいんだよね。極値と次の極値の間には、変曲点という名前の付いたスポットがあるにはあるけどそこまで気にしないでよくて、極値と次の極値の間は「増えているか、または減っているか」しかないからな。だから極値と呼ばれるものを左から順に1,2,3,4と番号ふったとして、まあ本当は4つも多くないんだけど、1と2の間は増えてました、2と3の間は減ってました、3と4の間は増えていました、こんな感じなわけです。ここで2と4のどっちの値が高いですか、とか関心事にならないといけない。
第二次導関数の符号を調べる最大の理由。
問題は「極値」だったら「導関数=0」だけど、「導関数=0」だったら「極値」ってわけじゃないところな。そっちなんだわ。
陰関数定理がわかると超有利
陰関数定理とは、たとえば次のような式に出会ったときに
中学生の頃から数学が得意な君たちは「等積変形」をして、y を x の「関数のように書く」ことができるね。でもね、「関数のように書く」という作業が終わったとたん、やっていいとは限らないのが「だからyは x の関数です」と定義することだよね。関数であるためには、x に対して y が一意に決まらないといけなかったよね。また連続関数だったり、微分可能だったりすることは、どうやって保障されるんだろうな。
そのあたりについて説明しているのが陰関数定理なんだ。どんなとき、等積変形をして遊んでいいか書いてあるんだ。
これはまず左辺をxとyの2変数関数としてみたときに、ある特定の点(座標)において、
① x の偏導関数 ② y の偏導関数
がそれぞれ定義できた(左辺が一階微分可能だった)うえで、その特定の点で②≠0を満たし、かつその特定の点の近傍で①②が連続関数であるとき、近傍では「関数のように等積変形した y = φ(x)」は陰関数で微分可能なんだよということ。
はさみうちの原理がわかると超有利
まず、はさみうちの原理がなりたたない場合を紹介します。
L’Arc〜en〜Cielさん♪ 途切れない空を何処までも♪影さえも映らない世界へ♪
Glayさん♪ Good-luck 錆びれた影が貴方が♪ジェラシーさえも傷つけた♪最後まで♪
もしもですね、お二方に挟み撃ちされていたとしても何を唄うかわからないわけです。しかしこれが、関数二つだと挟まれている関数の値は予測できる場合があります。そもそも関数二つに挟まれているというのは
任意のxについて、f(x) > h(x) > g(x) がなりたつ
ということです。挟まれている関数がh(x)で、挟んでいる関数がf(x)とg(x)です。ちなみにこれを、関数 f と g が 関数 h を挟んでいるという言い方をされてもひるまないようにね。おんなじだよ。
あとは簡単です。x=0のとき f(0)=g(0)ならば、f(0)=h(0)=g(0)ということですが、これが無限大の極限でもなりたつことがわかっているということです。x→∞で同じ考え方していいんだって。そんなの当たり前だろうという人は、確かに本格的に勉強した人よりも理解が不十分なのですが、そういう会話の流れで「ブッブーッッ!」っていうひとのせいで数学嫌いな人が増えるんだよね。わかればいいですよ。教わったひとが間違えないように教えることのほうが大原則だ。