救命

倫理学の思考力をみる有名な問題、「5人を死なせるか、1人を死なせるかでいずれかを選ぶとき、どちらを選ぶことが倫理的に善いことだろうか。」について取り組んだ。

「人命を測量したくない」と言い、判断を躊躇うことは、人殺しになりたくない利己心が救命という価値観を遮っている。選ぶことは救命である。ここで、「このままでは5人が死んでしまう」場合と、「このままでは1人が死んでしまう」場合とで判断が異なるようであれば、それは人殺しになりたくない利己心の表れである。

ここで計算という思考では、計算できる定量的な要素を取り出すことになる。しかし生命を、定量的な要素で測量すべきかどうかは確かに非自明である。ただし時間という定量的な要素は人間の生命の基底をなす定量的な要素である。では、おそらくは生命の残り時間が総和で短いであろう「1人を死なせる」という道を歩めるのかと言った際、その一人が5人のうちの誰かの妻である可能性を考えるとわかりやすいが、「道徳」として全員が合意するところにない。妻を殺して生き延びたことになりはしないだろうか。つまり単一の生命を測量した段階で普遍的道徳ではなく、倫理的でない。

ここで生命の数とは客観的な生命の価値があれば唯一客観的な価値である。倫理的に善いことは「1人を死なせる」ことである。

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