尊敬と女性

マハトマ・ガンディーは、若い頃、絶対に喧嘩が強かったと筆者は思った。「暴力は暴力によって破壊されない」という言語表現を使うにあたって、自分が笑われると思っていない。もちろん彼は、ありがちな権威主義者の意味合いで、笑われまい、と思っていたわけではない。そうではなくて、一人称で確信しているのである。ガンディーは、そういう経験値の人物で、真実だと潔く知っているのである。「馬は座る人の群れを蹴散らさない」と言って、騎馬隊に怯まなかったガンディーは勇敢である。

第三者の目線で「戦争はよくない」と共感しているにすぎない者は、「暴力は暴力によって破壊されない」という言葉は、内心冗談だと思っている。下手をすれば、「自分より強かったら勝てませんものね。」と言われる。知的な者も、「その、別の暴力に取って代わられる。」という意味だと思っている場合がある。ガンディーが低次元を脱出できた原因を彼の想像力だと曲解して、片づけることは、筆者には難しかった。ガンディーは筆者が言うような意味合いで「強い」人間でもあるだろう。

ガンディーについて男性的な捉え方と考え方を述べたが、女性は、男性性に理解がないと言っている意味がわからないかったかもしれない。その代わりと言うべきか、なぜならと言うべきか、女性は第三者の目線で暴力を正しく批判できる。第三者の目線でも真剣に、ガンディーの言う通りだと言うだろう。

筆者は、夢の中で、ガンディーに会うことができたので、「同じ考えの女性はどう思いますか。」と尋ねたところ、とんだ差別主義者に出会ったという顔をされてしまったが、「愛に性差があるとは全く思わない」と返事をしてくれた。

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