闘争

哀しいことは想像が欠落する。だから、はっとさせられる。自分に都合の悪い未来が見えてこない者は自分の不利益が哀しい。他者の不利益が哀しい者は他者の都合の悪い未来が見えてこない。合理性の必要な勝負事で勝つ者とは、自分の不利益が哀しくないし、他者の不利益も哀しくない、そんな人物になる。だからボードゲームやカードゲームのような致命的に相手の心身を痛めつけない工夫がなされるのだろう。

格闘技は本当に危ないスポーツで、年単位で取り組んでいられる者は精神が強い。いずれ必ず出会う危害を加える動機に満ち溢れた者が、まず不快でない。全く別の精神で対応できる。これは全くスポーツマンシップのような甘い考えではなく、むしろスポーツマンシップを汚されても動じないのである。そのうえで暴力を自衛してみせる。心身を痛めつける、痛めつけられるという沙汰に追い込まれるということは、冒頭の命題に突入するのだから、不意に対応する者は強靭な精神である。

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