日本の商人

日本史では江戸時代中期に、商品経済が発達し、商人たちが賤貨思想(せんかしそう)を克服し、蓄財や利潤の追求が正当化されたと言う。つまりいままで賤しいことだとされてきた貨幣の獲得が奨励されはじめた。商人とは、いまで言う小売店または卸売業者、あるいはそれら両方の仕事をする職業である。

商品経済が発達するとは、品物が増え、流通網が組織されていくという意味だ。単純に考えて、担い手として「是非仕事をしてください。」と思われる風潮と共に肯定されたと考えることが自然だ。たとえば呉服屋や潰れてしまって、欲しいときに限って手に入らなくなるようでは平素誰かしらが困るのである。商品経済が発達すればするほど、やってくださいになる。

筆者は、商人(小売店と卸売業者)の仕事を前時代にしていた人びとが荘園制の役人だったことを知っているから、賤貨思想とは政治的なものだと考えている。通説は、近代に入り、織田信長以来の宗教勢力への封じ込め政策で、賤貨思想は仏教思想や儒教思想を客観視する動きとともに、実用と切り離された、と言う。ただしここで言う国学や本居宣長(1730~1801)といった人物は、井原西鶴(1642~1693) の『金銀の有徳』とは一世紀ほどの年代に差がある。しかし、1724年に大阪の豪商たちの出資によって設立された学問所、懐徳堂にまつわる史実、仏教や儒教の非現実的な議論を批判するなどした史実からは、商人ら側からは熱烈に歓待されたものであることがわかる。

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