消費ミニマリズムが大衆消費社会の変革に足るとはなにか
引用 橋本努『消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神』p150-151 筑摩書房 2021
本章では、現代社会の正統な文化とそのオルタナティブという観点から、ミニマリズムの意義を検討してきた。私たちの資本主義社会における正統な文化は、たくさん働いてたくさん消費する生活であった。ワーカーホリックになって働き、モノを顕示的に消費するような生活であった。ところが資本主義の発展とともに文化が成熟すると、正統な文化に変化が現れた。勤労の美徳は、しだいに評価されなくなってきた。他者の視線を敏感に感じ取りながら営まれる顕示的消費も、しだいに減ってきた。こうした変化のなかで、ミニマリズムへの関心が高まっている。ミニマリズムは資本主義の正統な文化から逸脱する生活であるとはいえ、その企ては私たちの社会において新たな正統性を獲得するかもしれない。ミニマリズムはこの社会を変革するたえの、新たなオルタナティブといえるかもしれない。
オルタナティブとは「代替の」という意味です。たとえば原子力エネルギーの代替エネルギーとして再生可能エネルギーが注目されています。代わりのものという意味ですね。ワーカーホリックとは「仕事中毒」という意味です。顕示的消費とは、たとえば自家用車を「カッコいいでしょ?すごいでしょ?」と顕示する目的で消費することを指します。
消費ミニマリズムとは、必要最低限度のモノで生活する営みのことをいいます。
沢山働いて沢山買う → 代わりに → 必要最低限度のモノで生活しよう
↑この命題が大衆消費社会の変革になり得ると思いますか?
貨幣的な次元を拒む
一見すると、禁欲の話ではないか、たとえば沢山働いてお金を貯めて生活は質朴に営みましょうという、プロテスタンティズムとは、キリスト教的資本主義経営の時代における美徳の価値観です。しかし参考文献は、「脱資本主義の精神とは、その中心において、貨幣的な次元での勤労倫理と快楽消費を拒む精神でなければならない。(p321)」と説きます。プロテスタンティズムは、まさしく貨幣的な次元での勤労倫理ですから、脱資本主義の精神とは相反するものになります。
文化的価値の無限性
その貨幣的な次元を拒むことの柱となるのが、「文化財」はどんなに消費されても価値を失わないという提案ですね。「文化財はどんなに消費されても価値を失わない」とは、たとえばベートーベンの楽曲(レコード)は沢山再生されても価値を失わないですね。文化的価値の無限性を信じるということになると思います。
贈与のスカトロジー的快楽
所有物を0円で贈与することは、捨てるということに匹敵します。参考文献は、このスカトロジーは資本主義を無化する快楽でもあると説きます。消費ミニマリズムは、明確に資本主義そのものを敵視し、排撃することもあり得るのですね。
どう思いますか?
たとえば文化的価値の無限性を信じる者たちや、贈与のスカトロジー的快楽を好む者たちの間で、貨幣的な次元を拒むという趣向が、盛んになって、現代の大衆消費社会を穿つことはあり得ると思いますか。